優秀な師匠のおかげもあり、整備班のレベルは知らぬ間にかなり成長していた。なるほど、全員が技術系の出身であれば納得である。分野は違えど相通ずるものを感じるのであった。そのおかげか、互いの判断とその技術力は信頼に耐え得るレベルであるのは間違いない。それらの相乗効果が、成長の原動力と言えるのだろう。
そんな中、なんと自作艇(木造)作りまで手を染めた御仁がいた。そのお話をきくにつけ、オフタイムで紹介せずにはいられなくなったWebmasterであった。そこで是非に!と原稿を依頼することにした…。
それから数ヵ月間、携帯が原稿用紙代わりとなった。通勤電車の中、毎朝毎夕執筆活動に没頭していたのは言うまでも無い。先日その力作を戴いた。早速オフタイム流に紹介させていただくことにしたい…。
それでは、「わんぱくフリッパー」のはじまり、はじまり…
(満面の笑みに違いない… 青い海に茶色の帆が似合います! ブラウザの戻るで戻ってください。)
浮かんだ…!。
無意識のうちに生唾を飲み込んでいた。丹精こめて初めて作り上げた船である。初体験は心臓バクバクであった。そんな船主の気持ちを知ってか知らずか、意外にすんなりと浮いてくれたのであった。
浮くように作ったのだから当たり前である。が、水に浮かぶまで真実を受け入れることは出来なかった。勇姿を拝んでようやくホッとしたのであった。気がつくと隣では尊敬を込めた4つのつぶらな眼差しが注がれていた。キラキラと光るその瞳たちは期待と喜びに満ち溢れていた。満を持しながらおそるおそる3人で乗ってみる。安定も良い。まずはひと安心である。そこで、大丈夫!と自らを励ましオールを入れてみた。するとどうだろう、滑るように静かに進むではないか! 親子3人は満足感に満たされ、至極のひと時を過ごすことが出来たのであった。
かくも淡々と自作ヨット第一号は進水したのであった。その厳かな儀式は確かな悦びを伴って執り行われたことは言うまでもない。長男13歳、次男7歳。彼らもいい遊び道具が出来たものだと喜んでいた。
まだセーリング用のリグは製作中だったが、とりあえず逗子湾に浮かんだ時の感動はひとしおであった。あの湧き上がる感動は終生忘れることが出来ないだろう。
Nutshell Pram というこの船はアメリカから図面のみ取り寄せ、木材等材料はすべて自力で調達し作った船である。初心者向けであるせいか、帆走性能も悪く、全長も9フィート半と大変小さい。が、ガフリグの一枚帆とオールの組み合わせはクラシックな舶来の雰囲気を醸し出し、その美しさはなかなかのものであった。暫くしてリグも全て完成し、逗子湾や佐島近辺を親子でセーリングすることと相成った。満面の笑顔で楽しむ次男は、近い将来まさかOPに乗るなど思いもよらなかったに違いない…。
もともと、彼自身もここまで自作艇にはまるとは思ってもみなかった。ただ、幼いころにみたテレビが引き金となったのは間違いない。それは知る人ぞ知る、あの「わんぱくフリッパー」であった。
主人公のサンディーとバドは学校から帰るなり、そのまま家を素通りして裏庭から海に飛び込んだ。イルカを呼んでボートに乗り、さっそうと出かけるシーンを幾度も眺めていた。そんな素晴らしくも羨ましい世界に洗脳された彼は、潜在意識の中に海への憧れとして刻まれたのであった。そう、フリッパーの誓い?とでも言えるのではないだろうか…。
そんな潜在意識は次第に具体化してきたのであった。知らぬ間にシーカヤック乗りとなり、そのうちセーリングカヤックまで進化した。いつのまにか技術屋魂に火がつき、気がついたらカヤックがディンギーに変化し、自作まで始めてしまったのである。そんな自作魂を育んだのは偶然の出会いに他ならない。久里浜住んでいた頃のアパートの隣人殿がきっかけであった。なんと幸運にも彼は本職のヨットビルダーなのである。フリッパーの誓い?を立ててしまった彼が、こんなチャンスを見逃すはずが無い。
奥方には気がつかれなかったが、胸の中にポッ…と小さな炎が燈ったのであった。しらぬまに蒼き炎は大きくなり、廊下をカンナ屑で一杯にさせるなど思いもつかなかったことだろう。もうだれにも消すことの出来ない、大いなる自作魂と化していったのであった…。

(次第に形になってゆく… 気の遠くなるような作業の果てなのであった… ブラウザの戻るで戻ってください。)
1艇で満足できるような彼ではなかった。2号艇の製作は自然の成り行きである。今度はすこしステップアップし、キャットリグからスループにレベルアップすることに決めた。むろんクルー候補生達の存在が後押しとなったことは言うまでも無い。横山晃氏設計で全長約13フィート半のスパロー2である。が図面はどこか古びており、奥方の不審な目つきにきに少々ドギマギしていた。実は一号艇を作る前から図面を購入し、天井裏で出番を待っていたとのこと。最初から確信犯だったのは間違いないようだ。
思わず呆気に取られらたのはWebmasterだけでは無いだろう…。
黄ばんだ図面を広げ、現図(実物大の図面)を作り終えた。近所に作業場所を確保し簡単な小屋も立てた。フレーム用の木材を前にし、仁王立ちとなった。もう後戻りは出来ない…。腹に力を入れ、雄叫びをあげたのであった。(ほんとか?)
いよいよ本格的な着手となるが、クルーの技術向上を忘れていた。もしかしたら船を自作する以上に難しいかもしれない。スループの帆走は1人では面倒だ。うまくやらないとコンビが結成出来ず、海上デビューが海の藻屑となる…。
長男は部活に夢中だし、一丁前の高校生である。忙しいからダメーなどと恩知らずなことを言う年頃で、まず無理であると悟った。
次に白羽の矢を立てたのは小学四年生の次男である。通っていた体操クラブが自分に合わず、悩みぬいてフリーとなっていた。これ幸いと外に連れ出し、彼と次男は地元である逗子ジュニアヨットクラブの門をたたいたのであった。おかげさまでとりあえずクルーを1人確定することが出来たのであった…。
しばらくして毎日曜日の逗子湾通勤が始まった。ようやく少しは乗れるようになったものの、突然返るブームにおびえ、バウ沈しては呆然とする毎日となった。挙句の果てに向こう見ずなジャイブで前転を繰り返し、途方に暮れて苦戦していた。それでも父の計画を知ってか知らずか、めげずに練習してくれていたのは言うまでもない。寝顔を眺めながら無言の感謝を送るのであった
息子の練習に熱い視線を送りながら、空いた時間を見計らい作業場へ足しげく通ったのだった。その頃には船体のフレームは出来上がり外板も貼り終え、フネとしてのセクシーな形とボリュームが姿を現してきたのであった。彼にとってはマリリンモンローより魅力的なボディラインであったことだろう。
ともかく週末は何かの形で海と触れ合い、「フリッパーの誓い」を実現しつつあると言えるのであった。
奥方連には申し訳ないが、旦那連にとって「欲しいモノは作るに限る!」という秘策を伝授しておきたいと思う。昨今のお産(小さく生んで大きく育てる)と同じで、目立たずに着手出来ることは大きなメリットである。いきなりフネを買ってこようものなら大蔵大臣から否認され、三行半を突きつけられかねない。事前交渉したとしても難攻必至と思われる。ところが図面や道具、少々の材料を揃えるだけで始められるのだから容易と言える。
既成事実を繰り返し、積み重ねられた実績は最大の交渉人となる。難攻不落と思われた奥方からも、「へえー大変ね、ガンバッテネ」などとエールまで賜ることとなる。このスループも、一番最初に買い揃えたのは実は図面だけであった。(天井裏で発酵寸前であったが)
ようやく形となってきた。奥方は通りすがりに横目でながめ、「いつ出来るの?」とやさしく声をかけくれた。(けっして上辺だけではない…。)
あとは完成後の置き場さえ心配すれば問題無い筈である…。
冬も近いある日、クルー候補生は逗子市民ヨットレースにエントリーした。本人も大張り切りで、「優勝できるかなあ」などと大胆不敵なことをのたまっていた。が、意気揚々と出かけたものの、今日の海岸通りはやけにサーファーの姿が目に付くのであった。そんな見慣れない光景を目にし、脳裏にイヤな予感が走るのは本当である。普段見かけないのにずらりと並び、さしずめ電線にならぶシジュウカラのようであった。見ると肩の高さぐらいのうねりが入り、おまけにまったくの無風という状況である。
逗子では浜出し以外に方法がなく、案に違わず大波にもまれての出艇となった。一生懸命頑張るものの、あっという間にバウから波が入り、水船となってしまう。全身ずぶ濡れ砂まみれで奮闘したのだが、結局出艇を断念せざるを得なかった。
結局終日大波が続き、初レースにもかかわらずとんだ洗礼を受けることとなった。挙句の果て、あろうことか買ったばかりの遠近両用メガネまで流してしまった。海の女神が使ってくれることを期待し、潔くあきらめることとした。
ここでめげたら元も子もない。自作魂に再びエネルギーを吹き込み、クルー候補生にも元気を注入したのであった…
(次第に形になってゆく… 案に違わず庭を占拠してくれた… ブラウザの戻るで戻ってください。)
翌週船体フレームを据付船台から切り離し、ロールオーバーして正立させることとなった。これでデッキ内部やセンターケースなどの工作に移ることができ、デッキ外板まで暫くのうちに貼り終えることができたのであった。
ここまで来ると据え付け船台はもう不要となる。ようやく借りていた駐車場を解約返上し、小屋も解体の段となった。師走も終わりに近づき、それらしく出来上がったフネは自宅に移動され庭を占拠する。買い物から帰った奥方をおどろかすには十分であった。
それからの半年間は、マストやブーム、センター、ラダー、に時間を費やすこととなった。サンディングや塗装に勤しみ、颯爽と乗りこなすクルー候補生と自分を心に描くのであった。そんな心を知ってか知らずか、奥方から間断ないクレームが飛んでくるのであった。邪魔、庭が傷む、塗料が臭い、お隣に迷惑!と怒られっぱなしの週末となった。時には稼ぎが悪い!などと言われることがあったかもしれない。(ほんとか?) そんな冷ややかな視線に、平身低頭耐え忍ぶ毎日となった。マストをカンナがけするときは家の廊下にまで進出した。おかげで敷物のようにカンナ屑が敷き詰められ、木の香りで一杯となり本人だけは気分上々であった。が、そこいら中カンナ屑だらけになっていたのだから頭が上がらない。自作艇フリークとしては、致し方ない力関係と言える。
フネとしての形はすでに出来上がっているため、目に見える進捗状況は感じられない。傍目にも面白く見えない。しかも細々とした仕事は沢山あるし、奥方に頭は上がらないという環境である。モチベーションのキープには並々ならぬ苦労があったのは言うまでもない。
この苦しみに耐えてこそ自作艇オーナーは一人前!と独り言をつぶやき、モチベーションの向上に力を入れるのであった。
そんな傍らで候補生氏は、逗子ジュニアの中で次第に腕を上げていった。というと格好良いが、本人が思う程には上手くはなっていないらしい。初詣セーリングで、海上から森戸神社にお願いをし、拍手を打った。上手くなりますように…。澄み切った青空、紺碧の海、どっしり構えた富士山達が祝福してくれているようであった。
と言ってるそばからスプリットがだらしなく緩んでいるのだからたまらない。セールがお辞儀しているのである。お辞儀するのは本人だけで、セールはしなくとも良いはずである。本人の意気込みは買うが、先が思いやられるのであった。これでは神様にお願いする以前の話である。あらあら…。
庭のお荷物はめげることなく工程が進み、桜も散って入梅となった。船体細部、マスト、ブーム、ラダー、センターボードなどの木工作業があらかた終わり、艤装品を買い揃えた。江の島ヨットハーバーに置き場を確保し、塗装工程に入ることとした。これが完了しないと搬入できない。この夏を目標に日夜作業を進めてきた。そんなあせる主人をしってかしらずか、庭の主は静かに時が来るのを待っているのであった。
もう週末だけに頼るわけには行かない。ピッチを上げ、出勤前もサンディングとペイントに時間を費やした。毎朝早起きし、晴れを確認。サンディングとペンキひと塗りしてから会社へ赴くのであった。手をきれいに洗うヒマがなく、度々ペンキがついたままの出勤となった。だが時間の方が惜しい。なりふり構わずの毎日となった。
雨の日は塗装できないがサンディングだけでもやっておくのであった。遅くとも7月にはハーバーに持って行かなければならない。でないとハーバーの手続きが無効になってしまう。一日でも無駄には出来ない。ということで毎日何らかの作業を進めた。やはり締め切りがあれば仕事は進むものである!と妙に納得するのであった。
そんな中、大変残念ではあるが、諸事情により逗子ジュニアが解散となってしまった。いじらしくもクルー候補生からヨットを続けたいとの意思表示があった。そんなご縁もあり、我がクラブの一員となったのは言うまでもない。
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(どうだろう、この勇姿… 親子で自作艇に乗れるとは、幸せのかぎりである。 ブラウザの戻るで戻ってください。)
江の島に行った初日、自分なりに精進してきたつもりであったが、練習量の多さとレベルの高さに圧倒されてしまった。加えて自分のヘタさかげんに愕然としたようで、伏し目がちとなっていた。ここでめげてしまったらマズいなと思ったが、候補生氏は悔し涙を拭って闘志を燃やしていた。自ら何もかもやり直しと鼓舞し、気持ちを切り替え練習に勤しんだ。
戸惑いながらも、入部の翌週にいきなりレースに参戦となった。事実上これが初めてのレース出場となったが、1レース目はどうにか時間内ギリギリで完走することが出来た。後半は少し調子を上げ、初心者クラスではあるが最終成績は7艇中4位。ありがたいことに賞状まで頂いた。
入部時の絶望感はこれで吹っ飛んだに違いない。先は長いがなんとかやる気をキープし、モチベーションを保つことはできたに違いない。多くの人のお世話で起死回生の復活を遂げられたのだと思う。深く感謝したい。
修験者のような毎日の修行がようやく実を結んだ。7月の始めに塗装を終えたフネをハーバーに搬入することが出来たのである。残すところ艤装作業のみ。奥方も頭痛の種が庭先から消えて、さぞかしほっとしたことと思う。強制執行をよくぞ我慢してくれたモノダネと言える。こちらも深く感謝したいと思う。
すのこを貼り、マストを立て、クリート類を取り付けた。簡単なようだが慎重を期して作業を進めなければならない。ここで間違えると手直しの憂き目に会う。ところが、ギャラリーが集まり作業がままならないのであった。自作艇は珍しく、当然質問の嵐となる。いつのまにか四方山話となり、さらに時間が過ぎ作業が進まないのであった。が、自宅でこつこつ1人で作っていた時より世界がぐっと広がった感じがし、ゴール直前となった気がする。むろん海を目前にしてしまうと、早く進水したくて気ばかりあせるのは致し方ないのであるが…。
なんだかんだで8月になってしまった。ようやく全ての艤装品を付け終わった。陸でできることはここまである。後は海に出て調整するだけであった。「ああやっと出来上がったなあ〜」とは思うが、それ以下でもそれ以上でもない。不思議なほど感動しないのであった。特に進水式をするつもりはない。一号艇の時のように淡々とやろう…。
翌週候補生氏に手伝ってもらい、セールを張ってスロープから粛々と進水した。よかった、ちゃんと浮かんでくれた。あろうことか、シートが引っかかり、桟橋で半沈する羽目となってしまった。なんとも頼りない雰囲気ではあるが、人が乗って走り出せばとても安定する良い船である。おかげでアカ汲みを買っていなかったことに気づいた。大急ぎでショップに買いに走り、水をかきだして、出港準備は整った。候補生氏には前のほうに乗ってもらい、私は舵を取ることとした。セールを引きこんでいざ出艇!。
おお、走る!
ここで初めて完成の喜びを一気に感じた。一号艇のときの感動も鮮やかによみがえったのは本当である。いろいろと調整や改良したい箇所もあるがおおむね問題なく走る。加えて我が息子にティラーを任せ、彼はしたり顔でご満悦だったのは言うまでもない。かの候補生氏からは「OPよりも早くてすごくいいね」などとお褒めの言葉まで戴いた。
もう時間に追われることもない、調整は追々とやっていこう、息子のOPもまだまだ先は長く目標も遠い向こうにあるが、あせらずしっかりとやってもらおう。
わんぱくフリッパーみたいにいつも海をベースにして遊ぶ環境はこれで整ったのであった。
おしまい、おしまい…。
さて、長い歳月をかけ、彼はここまで来ることができた。数々の苦難に対峙し、最高の楽しみを謳歌しているのは間違いないようだ。やはり粘り強さは重要である。
「成せばなる 成さねばならぬ何事も 成らぬは人の成さぬ成けり」
そんな上杉鷹山の言葉を思い出してしまう御仁であった。我々も不撓不屈の精神で、子豚の教育に邁進しなければならない。(ホントである)
時々暑い日が残る今日この頃である。本日はFour
Rosesでバーボンソーダ割りとしよう。ソーダの在庫も最後である。次回からは気分を変えて秋を楽しむこととしたい。
候補生子豚君と、その仕掛け人である親豚殿に乾杯!
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