耐食耐摩耗、耐熱、離型… 我々はチタンコーティング、シリンダー、溶射、工具、機械、
金型部品を通じ、高次元のセールスエンジニアリングを展開します。
 

神奈川県大和市中央林間西3丁目7-1 太平金属工業鞄 

電話: 
FAX:

046-274-2713
046-277-3500
 
 
 
 
 
 
 
 
  ・オフタイム ちょっと一息…
  ・オフタイム 昔話…
 
※サイトマップはこちらです
 
News Rleases 
住鉱潤滑創立50周年に向けた記念製品として「Hi SPEED(ハイスピード)」をリバイバルし製品化致しました。またこの度の東日本大震災を受け、本製品の売上の一部を復興支援に寄付いたします。
Hi Speed 復刻版限定発売


 

 
 
文字サイズは中、印刷はA4横が最適です。
Google

サイト内検索はこちらへ


 WWW を検索 
  taihei-s.com を検索
 
株式会社
タイヘイテクノサービス
TEL 046-274-2713
FAX 046-277-3500
tts-info@taihei-s.com


        ※表示に少々時間がかかる場合があります。申し訳ありませんが、しばらくお待ちください。           
        ジュニアヨットクラブでOPディンギーの話題が主です。
三匹の子豚の子育て日記というべきか…。

オフタイムのページ
ちょっと一息…。さあ仕事から離れましょう! リフレッシュ、リフレッシュ!     

Webmasterは昭和39年生まれ。あの東京オリンピックの年である。そのころは高度経済成長の始まりで、日本の夜明けなどと呼んでいた人もいた。21世紀を迎え会社でも中堅の世代となる。仕事にたいする新鮮さは多少少なくなったものの、違う面白さを感じられる年代となった。
そんなWebmasterのひとり言をつづってきましょう。他にもここに書きたいという人がいたら連絡ください。。。。なんと言ってもオフタイムなのですから。。 歓迎します。
古くなったら昔話に移ります。 こちらも宜しく→「オフタイム 昔話…」
ご感想お待ちしてます。 こちらへ→ 
tts-info@taihei-s.com
ヨット用語集はこちらへ →湘南セイリングクラブ殿ヨット用語集(日本語、英語) 
ヨットの乗り方はこちらへ→ま〜ちゃんの簡単ディンギーヨット教室
オフタイム関係のリンク集はこちらへ→オフタイムリンク集

ワーキングタイム
に戻る


更新履歴

2012/01/04
始動…


2011/01/04
迅雷風烈、そして感謝…

2010/09/29
不撓不屈

2009/12/24
年貢の納め時


2009/10/06
わんぱくフリッパー

2009/08/10
無為自然


2009/06/03
天真爛漫


2009/04/28
眼光炯炯


2009/01/08
諸行無常


2008/11/03
赤烏帽子


2008/09/03
眉目秀麗


2008/08/10
信念


 
2012/01/04   始動・・・
あれから数ヶ月…。なんかボンヤリとしていた。そう、燃え尽き症候群とでも言うべきなのだろうか。全日本で共に完全燃焼した親豚達も同じと思われる。この8年間、よくもまあ、激流下りをしてきたものであった。いざ戦列から離れてみて、初めてOPを客観的に眺められるようになった。充電期間なのかもしれないが。
しかし、そんな燃え尽き症候群は長く続かないのであった…。

手持ち無沙汰も手伝って、整備班の親豚達は次のステップに向けて検討を開始した。モノづくり?に情熱を感じていた我々は、次なるステップもやはりモノづくりであった。やはり我々は技術屋の範疇から出れないらしい。分野は違えど皆技術系の出である。なるほど、納得なのであった。
木造ディンギーの大先輩に触発され、可能不可能は別として技術屋としてのDNAが働き始めたのは言うまでもない。机の上に並べられたWOODEN BOAT誌に目が釘付けとなってしまったのであった…。

 


(腕試しは作業机の製作から。ブロックを敷き、作業場の整備に余念がありません… ブラウザの戻るで戻ってください。)

ブルーウォーター派?のヨット乗りを自認する以上、やはり夢はクルーザーである。よって自身の実力を判っていないWebmasterは、ついつい大型クルーザーに目が行ってしまうのであった。逸る心は相模湾に舞い降り、青く広い海原をバックに快適にセーリングしているのである。が、我々のお師匠様はそれを言下に否定した。「作るのをあきらめることになりますよ…」と。そのにべも無い表現に、Webmasterは夢を傍らに置いておく事にした。
そんな訳で、初心者でも何とか作れそうなレベルの船を選び出し、図面を取り寄せることとなった。伝統的なディンギーは大変美しいものの、その構造からとても初心者が手を出せるレベルではない。そこでルックスは古風であるが、現代のテクノロジーを駆使した「Wee Rob Canoe」(セーリングカヌー)を選定した。見た目は古風な鎧戸張りであるが、固定のほとんどにエポキシ接着剤を多用し、木造軽量モノコックとなっているのである。本格的な船は次回に譲ることとし、これにてまずは勉強開始となったのであった。


(フロアができるとモールドベースの製作となった…。 ブラウザの戻るで戻ってください。)

といいながらも、いきなり船を作るのは自信が無い。腕試しと勉強を兼ね、まずは無垢材で作業机を作ることにした。シンプルな設計であるが、手馴れていない世界である。FRPと違い樹脂を盛って造型するわけには行かない。伝統家屋のようにホゾで繋ぎ、半割りの角材を天板としたのであった。が、馴れない木工仕事に四苦八苦であったのは間違いない。その甲斐あってか出来上がって見ると重厚な作業机である。今後の重作業?を考えると申し分ない出来となったのであった…。
届いたカヌーの図面を広げ、長さを決めた。というのも長さのバリエーションが3種類あるのである。12、 13.7、 15.2フィートの3種類から選択できるのであった。一番図面がしっかりしているのは12フィートであった。本来はデフォルトなのだろう。が、我々はセーリングカヌーとして使用する予定である。ゆえにかなり省略されたラインで一抹の不安は感じるものの、15.2フィートのタンデムとしたのであった。


(原図からモールドを起こし、フレームに設置…。 ブラウザの戻るで戻ってください。)

原図からPETのフィルムにラインを起こし、モールドを切り出した。船の外板のセクシー?なカーブを決める重要なパーツである。桁を固定し、ベースフレームに設置して行く。ここで大きな問題に気がついた。フレームを載せている木枠の中に物が落ちると簡単には取れないのであった。むろん水平を取るためスペーサーをかましてはあるのだが、品物が取れるほどの高さは無い。気がついたときは時すでに遅く、いまさら持ち上げて水平を取る気にはならないのであった。以後、中に物が落ちないよう常に注意するようになったのは言うまでも無い。といいながら燃料が入っていい気分になるとカンナだ、水準器だと中に落ちてしまうのは否めないのだが。
次に準備したのは杉材を使ったバテンである。モールド、ステムと外板にセクシーなカーブを描かせるには不可欠の副資材である。自然なカーブはそれ自体で芸術と言える。バテンのしなりが悪いと不自然なカーブを描き、人工的な臭いが強くなってしまう。適度なしなりはそれを防止し、素晴らしいフォルムを描く…、そんな想像を胸に物凄く沢山のバテンを作ってしまったのだった。気付けば大量のカンナ屑。その圧倒的な量に夢が覚めたのであった…。


(次はバテン作りである。大量のカンナ屑にゲンナリするのであった…。 ブラウザの戻るで戻ってください。)

しかし、昔の船大工は大変であったと思う。我々が作っているカヌーは大分簡略化した方式であり、十分完成させる自信がある。しかし伝統的な船はそうは行かない。我等が師匠が作ろうともくろんでいるHerreshoff 12 1/2などは大変である。葉山新港に同型艇があるが、見れば見るほど美しく、何時間見ていても飽きないのは間違いない。が、その実物と図面を見る限り素人には簡単に手が出せないと感じるのであった。自信が持てる技術レベルになるには大変な努力を要するようである。我々親豚の趣味の範囲では、まだまだ自信は湧いてこないのであった。

次回はステムの積層から入る予定である。始めてのエポキシ接着に挑戦するのであった。エポキシに関する材料は全て足立ヨット造船から購入させていただいた。遠距離にも係わらず足立社長から直接電話で丁寧な説明を戴き、加えて逗子のビルダーをご紹介戴き実地研修まで行っていただいた。お陰で不安は払拭され、自信を持って挑戦できることとなった。ホント、ありがたい話である。深くお礼を申し上げねばならない。船作りを通して一体感を感じた瞬間であった。

さて、いつもの「常きげん」の山廃純米吟醸である。石川に出張の際、手に入れてきた。天邪鬼なWebmasterである。いつかここを越える酒を探したいと思っているのだが、なかなか見つからないのであった。
実は見つからないのを楽しんでいるところもあるのだが…。

すでに子豚達は大海に船出したこともあり、親豚達は自分だけの趣味に没頭し始めた。子豚達へは側面支援のみとし、自立自律を旨とし成長してゆくことを期待したい。

あっぱれな子豚達と、少しだけ寂しい親豚達に乾杯!

眩しさを感じるのは、Webmasterだけだろうか…。

 

オフタイム 昔話に行く                    オフタイム トップに戻る

 

2011/01/04    迅雷風烈、そして感謝…
さあ、3匹にとって最後の全日本選手権が始まった。今年は山口県の光市である。瀬戸内海の内海に位置し、重量級の選手には少々荷が重い。3匹達にしてみれば、最後の全日本なのだから強風の入る外海で開催してもらいたい!ところであろう。
が、それはめぐり合わせである。与えられた条件で最善をつくすのがヨットマンと言えよう。3匹達はどんなレースを展開するのか…。親豚達は、OP時代にきちんと区切りをつけてくれることを期待し、海に送り出したのであった…。

Webmasterは残念ながら現地に赴くことは出来ない。と言うのも、今年の11月の連休は並びが悪く、飛び石連休となっていた。2日間も休みを戴くのは心痛く、残念ながら今回は母豚に代打をお願いすることとなった。
船やレスキューは従来どおりトラック便にて先発させられ、選手とサポーターは新幹線で参戦となった。新幹線と言えど、やはり光は遠かった。行くだけで相当にエネルギーを使ったのは言うまでもない。でも車内はそれなりに楽しかったようだ。Y親豚カメラマン殿の写真を拝見する限り、ゲーム、おしゃべりに没頭し、エネルギーの発散に勤しんでいた様に見受けられる。4時間半の長旅の末、大きなフグに出迎えられ山口県に到着した実感で一杯となったのは間違いないだろう。



(長旅ご苦労様! 名物のフグのお迎えに仲間意識?を感じたのだろうか… ブラウザの戻るで戻ってください。)

レースは、当初の予想通り軽量級に適した天気となった。振れ回る風は軽く、重量級はあしらわれてばかりであった。お陰で気がついたら順位表の下に沈殿し、上澄みとなった軽量級は独走態勢となった。中学3年グループは悔しくて歯軋りしていたに違いない…。
と、思っていたのは親豚達だけのようで、3匹たち中3グループは実に意気軒昂であったようである。体調不良にも係わらず、2日目の懇親会では新品のボートカバーをゲットし、ますますヒートアップしたのは間違い無い。後輩に渡るのは必至であったが、幸運が降って来たのは本当である。それに気を良くしたわけではないだろうが、粛々淡々とレースを楽しんいるように見うけられたのは本当である…。

いつもなら地団駄踏んで悔しがり、勝ち負けにこだわるのが普通である。が、海外へのキップを手にできるのは中学2年生までであった。そんな背景のお陰だろうか、選考会のプレッシャーから解放され、心から全日本を楽しんでいると見た。
そう、彼らにとっては凱旋行進、エキシビジョンとしての意味合いが濃いと思われる。きっとそれがレースを粛々淡々と楽しむスタイルを醸し出しているに違いない。



(アナゴを捕まえた選手がいたようである。 きっと順位も勝ち取ったことでしょう! ブラウザの戻るで戻ってください。)

むろん現役選手は気合十分、そして大興奮となったことだろう。いままで目の上のタンコブであった中3を押しのけ、上位を独占出来たのだから当然である。我がクラブのホープに至っては並み居る先輩達を押しのけ、全日本1位となる快挙を成し遂げた。無条件でワールドへのキップを手にしたのであるから得意満面である。

3匹達も含め、中3連中は抜かれる楽しみをきっと味わったに違いない…。少しだけだが、「おぐりめぐり」の精神に触れることが出来たと思われる。軽量級の選手に抜かれ、悔しいのは間違いないが、半分嬉しい気持ちも感じたはずである。

本当にOPは卒業となった。次のステージとは、雲泥の差を感じることだろう。そのスピードとコントロール感は隔絶の感となるはずである。OPは力で抑え込めたが、レーザーや420はそうは行かない。大の大人が目を三角にして乗っても自由にならない乗り物なのであるから…。

そんな地団駄踏んで悔しがる3匹の姿を目に浮かべ、ほくそ笑んだのはWebmasterだけではないはずである…。人生、そうは問屋が卸してくれないのが普通である…。



(美しい海! 内海のうららかな気候にレースを忘れそうな面々であった。 ブラウザの戻るで戻ってください。)

思い起こせば8年前、年端も行かぬ息子を引き連れ、クラブの門をたたいたのを思い出す。Webmasterもヨット乗りの端くれであったが、風速20mオーバーでも海に出すと言われ、流石に驚いた。ホッパーのフルリグであれば、Webmasterの体重(いまより随分やせていたのだが…)でも8mも吹けば限界となる。それをいとも簡単に披露され、夏の台風来襲時には目の当りとなるのであった。決して過保護ではなかったが、泣き叫ぶわが子を1人OPに乗せ、手を出したくなる衝動を抑えるのは大変であった。離れて見守るのは、親として今考えても大変な試練であったのは間違い無い。少し時間がたてば驚くに値しないものの、最初は誰しも驚愕の表情を浮かべることだろう。立ってるのが辛い様な強風の中、8歳の子供が操船し続けることは大変なことである。テレビゲームになれた環境からは容易に想像できないと思われる。
ぴよぴよ(OP1年生)の頃、我が息子は、強風の中気がつくと操船放棄していた。船内で1人ティラーとシートから手を離し、大泣きしていたのである。思わず声をかけて近寄りたい衝動に駆られてしまった。が、同乗している先輩父兄に視線を戻すと、首を横に振られた。「そのぶん、他の子の面倒を見ましょう!」と諭されてしまった。確かにここで助けてしまっては元も子もない。ヤツは必至に自分と戦っているのである。挙句の果てにワイルドジャイブでブームパンチを食らい、大きなタンコブまで頂戴した。ますます大きな泣き声となるものの、それでもほっておかれたのだった。
するとどうだろう、再びティラーを握り再帆走を始めるではないか!。これには驚いた。思わず「ヨシッ!」と拳を握り締め、心の中で応援してしまったのは言うまでも無い…。
心ならずも貴重な経験であった。こんな教育はインドアでは行うことが出来ないのは間違い無い。激烈な自然環境の中で行ってこそ、初めて成功できる教育と言える。だからこそ自然に対する畏怖の念を抱き、強靭な精神力を勝ち得ることが出来ると納得するのであった。



(表情の一つ一つがタマラナイ! Y氏のカメラマン魂が冴えてます! ブラウザの戻るで戻ってください。)

最初のころはマークを回って帰ってくるだけで小躍りして喜んでいた。そんなWebmasterを見てさぞや先輩父兄も笑っていたことだろう。飛沫をあげた急流下りも終わりになると、次は中流域での中だるみとなる。淀みにはまった3匹を叱咤激励するのは、これまた根気の要る仕事であった。コンニャクかクラゲか、はたまたイソギンチャクか…。そんな連中のヤル気を維持し、モチベーションを挙げるのは至難の業である。己は大人でも敵は子供である。手を変え品を変え、策を弄するものの、なかなか結果が出てくれないのであった。今考えればこの頃が一番大変だったかもしれない。焦る心を抑え、粛々淡々をキーワードに精進していたのを思い出す。大河の流れとなるころには、思春期を向かえ声変わりもし、自我も芽生え、目的意識もはっきり持てるようになった来た。お陰で、諸事細かなことを言わなくとも自分で答えが出せるようになってきたのは言うまでも無い。そして、今回の全日本で大海への船出に繋がったということになるのだろう…。

今から考えれば、思春期において最高のタイミングで「気付き」を感じてもらうことが目標であったと思われる。そのために長期間かけて準備してきたと言えるだろう。むろん、長きに渡る親豚達の不屈の闘志があったからに他ならない。
淀みにはまったドングリ達ではないが、それなりに迷い、苦しみ、苛立ちなどを抱えてきたはずである。それが「気付き」によって発想の転換を実現でき、思春期における自律自立の糧となるだろうことは間違いない。

河口から大海に放たれた子供達は、今後は自分の力で進んでいかなければならない。お陰でその為の力を十二分に力を蓄えることが出来、一点の不安も無く次のステップに向かって進んでいくことが出来るのであった。



(心づくしの鯛の塩釜焼、ありがとうございました! みなの笑顔がたまりません! ブラウザの戻るで戻ってください。)

しかし、ここまで来るのにいったい何人の方々の力を戴いたことだろうか…。両手両足の指では足りないのは明白である。非常に感慨深く、また深い感謝の念を改めて感じるのであった。

お世話になった方々に共通するのは、子供達の成長を眺めるのが好き、ということだろう。感謝の念を込め、2005/04/20「おぐりめぐり」にのせた原稿を再び紹介したい。

りっぱに一人前に成長し、若い頃に受けた恩を返すことを「おぐりめぐり」と呼んでいる。
これはWEBMASTERの父親が育った田舎の方言であるが、人間が集団を作り、文化を育んでいく上で大変重要であると思う。日本人として古来から育んできた精神であり、忘れてはならないものである。家庭でも、会社でも、学校でも、ジュニアヨットクラブでも同じである。現代社会において忘れがちであることは否めないのだが…。
我が息子も卒業したら恩返しが出来るよう育っていって欲しい…。そう願って日々サポートしている。が、他方WEBMASTERは胸を張って海上に出られる体ではない。下手に倒れでもしたらみんなに迷惑をかけることになってしまう。(出たくて出たくてヤキモキしているのだが…)。そのためどうやったらクラブに十分貢献できるかものか、一人悩んでいたのであった。すると、他に人がいなかったのか、「レスキューの整備をよろしく!」と白羽の矢?を立てられた。合点承知の助である。これなら陸上での作業であるため、胸を張って貢献できると安堵した…。

昔の原稿だが、読み直しながら思わず頷くのであった。日本には古来から儒教的な伝統があり、祖先以来の連続する生命の大切さを、意識下において引き継いできている。が、戦後教育の柱は個人主義の涵養にあり、先の儒教的死生観を継ぐ機会を少なくしているのは否めない。結果、唯一最高絶対神を持つ欧米の個人主義と異なり、死生観の無い個人主義(先人の存在とそれに感謝する心を忘れ、自分が絶対神となってしまう)は、単に利己主義者を生むこととなってしまう。むろん欧米人であっても無宗教者は利己主義に走り勝ちである。そして感謝することを忘れるのである。感謝する心を忘れれば、驕りたかぶる自分を抑えることができず、より利己主義が先鋭化するのである。

そんなことをつらつらと思いながら、本当にWebmasterは感謝するのであった。3匹が一人前に育ったのは、係わりのあった皆さんのお陰である。走馬灯のように思い出が脳裏に甦るのであった。お陰様で、8年間の感謝と満足で心が一杯となったのは言うまでも無い。

まさに、迅雷風烈、そして感謝…と言えるだろう。



(次のキャプテン、宜しく頼みます! 優勝の緊張した笑顔?もたまりません! ブラウザの戻るで戻ってください。)

これにて3匹はOP卒業と相成った。大航海を始めた3匹達は、各々の道を歩んでいくことだろう。しかし、ジュニアで学んだ恩は将来に渡り忘れてはならない。どんな分野でも、いつであっても、一人前に成長したらその恩を次の世代に返していってもらいたい。3匹達はきっと理解してくれていることだろう。親豚も含め関係した方々の心は、次世代を育む思いとして、引き継がれてゆくものと確信している。

Webmaster達親豚も現役親豚に引き継ぎ、陰からサポートすることとしたい。老害とならぬよう気をつける必要もあるだろう。他方、いざというときは支える所存である。そういう人の環が人間の集団を支えて行く鍵となるのは言うまでも無い。

そんな訳で、我々親豚の次なる目標を選定中である。概ね狙いを定めつつあるので、概要がはっきりしたらご報告したいと考える。合わせて3匹の青年仔豚の報告も続けることとしよう。もう親掛かりではないので詳細の報告はできなくなるが、頑張っている子供達を応援するのはWebmasterの趣味である。読者の方々は楽しみに待っていていただきたい。

先日知り合いから岩手県の名酒を戴いた。「あさ開大吟醸」である。
南部杜氏の手になる一品で、Webmasterにとって初めての岩手の酒となる。
封を空けると、ふっと良い香りが鼻をくすぐる。
旨い酒の第一条件をクリアした。薫り高き大吟醸を杯に注ぎ、まずは中締めとしよう。

大海に漕ぎ出すことになった、我等が3匹の青年仔豚達に乾杯!

それでは次回乞うご期待!

 

オフタイム 昔話に行く                    オフタイム トップに戻る

 

2010/09/29    不撓不屈
なんと前回の更新から10ヶ月である…。忙しくなったからとは言え、少々休憩が長すぎたのは間違いない。メンバーが少なくなったところに受注が重なり、四苦八苦の毎日が続いてしまっていた。そのままキッカケがつかめず、ずるずると執筆できないでいたのであった…。
が、そんな日々を送る中、なんと読者の方から安否確認のメールを戴いてしまったのである。是にはさすがに驚いた。長年続けてきたものを10ヶ月もの間予告無しで休止するのはいかがなものか?と優しくお叱りの言葉まで戴いてしまった。
本業優先は維持しなければならないものの、読者の皆様の期待にも応えなければならない。本業に影響が及ばない範囲を遵守することとし、古いネタで恐縮ではあるが、執筆家活動?を再開することとした…。



(そろいの青のユニフォーム! 部会長殿、ありがとうございます! ブラウザの戻るで戻ってください。)

今年の選考会は今までとは違うスタイルとなった…。親無し参加なのである。
目的は選手の自立を促すことである。おかげで少々寂しいものの、親は江の島で声援を送ることとなった。考えてみれば、そもそも海外遠征では独力で戦うことが前提である。そのための選考会なのだから、自立することを旨としてもおかしくは無い。3匹達はOPの最高学年となり、もう親の力をあてには出来ない領域に到達している。OPは親子セットの参戦が常であるが、そろそろ次のステップの準備をしなければならない。そんな背景を鑑み、我が部会長の英断で新しい試みが試されることとなった。
少しさびしい気がするものの、成長を離れたところで眺める楽しみも一考である。中学生を中心とした子供達が主人公である。故にホストクラブの方々を始めたくさんの方々の暖かい眼差しがあってこそ実現する。知らず知らずのうちに、Webmasterは関係した全ての方に深く感謝してしまうのであった…。

船は大型トラックに積み込まれ、一足先に別府へ向かうこととなった。その数日後、選手一同は羽田空港に集結した。部会長から戴いた揃いのパーカーを羽織り、気合バンバンである。その目の覚めるような青色は、別府での活躍を予見させてくれるのに十分であった。そんな周りの期待とは裏腹に、12人のサムライはその重さを肌で感じはじめたようだった。次第に言葉少なになって来た様子をみれば間違いない。やはり海外派遣選考会である。夢への最終関門となれば当然と言えるのかもしれない…。


(二つの低気圧がくっついた…。 パーフェクトストーム出現か?)

その翌日からレースが始まった。天気図によれば大きな気圧の谷が通過するとのこと。二つの低気圧が一つになり、荒れ模様の天気を予感させてくれた。
そんな予感は的中し、振れ回るだけでなく大きな息をし、トリッキーな風となった。ようやくスタートした1レース目、なんと18mの強風の中となった。おまけに夕方近くの号砲になってしまっていた。
が、後続艇がフィニッシュする頃には0m…。三分の一がDNFと、呆気にとられた初日となった。薄暗がりの中、フラストレーションの溜まる初日となったのは言うまでもない。

   
(年輪みたいな低気圧! 30mオーバーも本当であった…。)

大会二日目、初日の予想に加え大幅な上方修正となった。大木の年輪のように発達した低気圧は、強烈な寒冷前線を引きつれ東に移動していった。残された等高線は緻密になり、日本中に猛烈な強風を巻き起こしていた。江戸川では40mオーバーの風が吹いたとのこと。やはり別府でも強烈な風が吹き荒れ、尋常な状態ではなかった。ディスマストやセールの破損が頻発し、通常のレースなら中止となる状況であった。
が、さすが選考会である。なんと赤十字旗とともに揚がっていたクラス旗が降りた。スタートである。が、本部船近くにいるはずなのにホーンが聞こえない。そう、有り得ない程の強風にかき消されたに違いない…。
気がつけば周りは沈艇が一杯となっていた。本部船に繋がれている艇もいる。地獄絵図…と評した人がいるほどであった。選手も含め、関係する面々は極度の緊張を強いられ、心臓が破裂しそうになっていたことだろう。
なんとか半数の艇はスタート出来、破天荒な2日目の幕は切って落とされたのであった。


(なんと2日目の超強風は大変面白かったらしい! この顔、納得である… ブラウザの戻るで戻ってください。)

が…、である。そのとんでもない海況が、面白くてしょうがなかった面々がいたらしい。大荒れの天気の中、ぶっ飛ぶ船に大興奮だったようだ。軽量級の選手は耐久レースを強いられたものの、大きな選手はその体重を活かし、OPの限界を味わっていたに違いない。
ヨット乗りなら承知の話だが、ぶっ飛ぶリーチングは興奮と恐怖でアドレナリン一杯となる。そしてスターンを振り回しながらサーフィングに入った瞬間、それは臨界に達するのであった。溢れ出たアドレナリンは体の隅々まで行き渡り、強烈なトランス状態となる。そう、それはもう恐怖と快感が同居する別世界となるのであった…。
経験された方は多いと思うが、そういう精神状態の時は集中力も最高潮となる。火事場の何とかではないが、概して結果も伴うものである。おかげさまで、3匹とも前半の順位は好調であった。2日目の写真を見るに付け、その満足顔に勝るものは無いと得心するのであった…。



(うって変わって平穏なお天気。 集中力を保つのは容易ではない…。 ブラウザの戻るで戻ってください。)

そんな前半の吉報を、Webmasterは合宿の宿舎で受け取った。実はWebmasterは有志を集い江の島整備合宿を敢行しているのであった。選手は親無し参加で選考会に赴いている。選手が死力を尽くして戦っているのに、のんびりしている訳には行かない。というわけで、整備合宿を企画したのであった。
ふだんレスキューは練習で使用しているので、全艇合わせての集中整備など不可能である。よってこの機に乗じ、半分づつ二日間に渡りレスキューの集中整備を行うこととした。むろん、夜の計画も忘れてはいない。整備班有志の自宅に厄介になり、庭でBBQと洒落込んだ。自慢の高座豚にお姉ちゃんの手料理も加わり、宴もたけなわとなった。そこに一本の電話が入った。「今、ファックス送るよー!」と…。



(腰縄式船上カメラマンの出現! 明日に備え選手達の緊張をほぐします… ブラウザの戻るで戻ってください。)

電話の主は現地派遣部隊の部隊長である。すわ何事か?と思ったら手書きの暫定成績表であった。確定情報ではないが、皆食い入るように見たのは想像に難くない。気がつけばお姉ちゃんが見ているテレビの音だけが聞こえ、それ以外、しばし無音となったのは本当である。
Webmasterは我が目を疑った。なんと我が息子が片手に入るか否か?という状況なのであった。神風が吹いたと思われる。出発前、確かにヤツは天気図を前に「俺の風が吹く!」と口をとんがらかしていた。それは低気圧の到来を告げていたからである。別府は風が吹かないと定評があるが、天気図は荒れ模様のレースを示し、前評判を覆すには十分であった。
Webmasterもやはり親である。我が息子がすわワールドか?といえば興奮しないわけが無い。が、よくよく眺めてみるといつもの傾向が見て取れた。超強風の時は絶好調だが、風が落ちはじめたタイミングで順位も落ちているのである。Webmasterは、チクリと胸の隅にいつもの予感を感じるのであった…。


(朝の江の島体操! 集中力の維持が鍵を握ります… ブラウザの戻るで戻ってください。)

さて後半戦が始まった。どっかりと腰を落ち着けた高気圧のおかげで、一転して微風のレースに様変わりとなった。振れ回る微風に、運営はもとより選手達も苛立ちを隠せない。挙句の果てに最終日はノーレースとなるほどであった。風の神様は日本中どこにでもいるらしい。。これには一同脱帽である。微風から超強風まで、よくもまぁバラエティに富んだ海況を呈してくれたものである。結果、選考会としてはあらゆる条件を揃えられ、真の意味で切磋琢磨できる大会となったことは間違いない…。

おかげさまでWebmasterの予感は的中となった。麗らかな春のお天気は、集中力を低下させるのには格好の材料となったらしい。後から本人も悔しがっていたが、微風は大の苦手とのこと。同じ遺伝子を持つものとして、その気持ちは良く理解でき、思わずウンウンと頷いてしまった。甘すぎだろうか…。が、そんな春のお天気でも動じない選手も居た。強風はもとより、微風であっても堅いところの順位を維持し、トータルで首位を守るのである。これは流石としかいいようが無い。長年同じ目線で成長を眺めてきた親豚として、心から賛辞を送りたいと思う。


(ナショナルチームの発表! おめでとう! ブラウザの戻るで戻ってください。)

さてピンからキリまでの海況が揃った選考会であった。が、おかげさまで我等が3匹は、そろってナショナルチームの栄冠を勝ち取ることが出来た。「JAPAN」とロゴが入ったライジャケを着ることを目標に長年精進してきたので、本人達は感無量であるに違いない。親豚達も、ピヨピヨ時代から今までを走馬灯のように脳裏に浮かベていたことだろう。そんな記念すべき選考会も、午後の閉会式を持って終了となったのであった…。
閉会式の後、雨の中の積み込みとなった。若干の大人とOG、OBがいるとはいえ
親無し参戦である。中学生主体で頑張って積み込みを行わなければならない。全員濡れ鼠になりながらの撤収となった。トラックへの積み込み後、部会長からの心づくしの焼肉を頬張り、一同大満足であった。


(積み込み、中学生を中心に大活躍! 部会長の心づくしにも一同大満足…  ブラウザの戻るで戻ってください。)

親無し参戦は子供達にとって素晴らしい経験となったのは間違いない。むろんこの素晴らしい遠征が成功裏に終了したことは、引率していただいた部会長を始め少数の大人達と、OG、OBがいてくれたことに他ならない。加えてホストクラブの方々や援助していただいた全ての方々のおかげと言えるだろう。そんな方々に共通しているのは、心から子供達の成長を願ってやまない気持ちが在るからだ思う。ありがたい話である。Webmasterは本当に心から感謝するのであった。
考えてみれば現代の子供達は厳格に管理された環境で過ごすことしか知らない。そんな学校生活とは違い、激烈な自然環境の中、寺子屋や私塾のような形で子供達を教育することは、真の教育に繋がるのではないか?とWebmasterは考える。子供達の成長を願い、それを粛々を進めることは、崇高な行いである言っても過言ではないだろう…。


(いよいよ撤収。  ブラウザの戻るで戻ってください。)

そんな中、隊長から再び電話を戴いた。普段は頼りないばかりなのだが、我が息子は他の中学3年生と共に必死に後輩の面倒を見ていたとのこと。ナショナルチームの一員になれたのも嬉しいのだが、実は同じくらいこっちの話も嬉しかったのだった。
レースは競技であり、一定のルールの下で競い合うものである。よって海上では皆ライバルとなり互いに切磋琢磨することとなる。が、ひとたび危機が迫ったり、陸上においてはその限りではない。全員一丸となって危機に対処し、後輩の育成に力を注ぐべきである。Webmasterは、超強風下で嬉々としてOPに乗る姿と、真摯に後輩の面倒見ている姿を脳裏に思い浮かべ、親豚冥利に浸るのであった。

ようやくヤツは「反対の合一」が分かるようになってきたのかもしれない。ほのかな期待に胸を躍らせたのであった。肥え桶も担げばピアノも弾ける…。人間には二律背反するものが無限に存在する。理想と現実、精神と物質、利己と利他、ポジティブとネガティブなど数え上げたらキリがない。そしてその二律背反するものを同時に理解できる力が、Webmasterは必要であると考える。その力がバランスの取れた人格形成を育むと理解する。ただ、それは自らの本能と対峙することになるので、ポジティブな強い精神力を必要とするのも事実である…。
そんな中、Webmasterは、子豚達には、何事にも不撓不屈の精神で立ち向かえる強さと、相手のために心底一生懸命になれる優しさを、常に自分の中に同居させて欲しいと願っている。これはマズローの言う「自己実現の欲求」であり、ピラミッドの頂点に位置している。その表現を借りれば、「反対の合一」は、「二元性の超越」(利己的かつ利他的、理性的かつ本能的等)と同意義と理解する。難しいが、教育の最終到達点はここにあるのだろう。やりがいは大きい…。

などと、親豚冥利に浸っている中、ヤツはご満悦のご帰還となった。開口一番、大荒れの海上をぶっ飛んで走った話を、大変大きな声で披露してくれたのであった。思わず顔に飛んできた唾をぬぐったのは本当である。よっぽど面白かったらしい。口角泡を飛ばすとはまさにこのことだろう。まずは面白いのが一番である。そんな嬉々とした顔を見るに付け、高尚な期待はまだまだと頭の隅に押しやってしまったのは言うまでもない。しかし、OPを通してつちかった経験は、確実に息子の血や肉になっていると実感した。本当にありがたいことである。お世話になった方々に、Webmasterはいくら感謝しても仕切れない気持ちで一杯となった。あと数ヶ月でアジア大会を迎える。皆の期待を背に、大きな日の丸を掲げてきて欲しいものである。

しばらくすれば、もう3匹は子豚では無くなるはずである。次のキャッチフレーズを考えながら一杯と行こう。
今日は樽平の純米吟醸原酒である。親戚にいただいた。原酒というだけあって割り水が入ってない。アルコール度数も19%と平行複発酵の限界に近い。お値段もそれなりとのこと。ありがたい一本であった。OPの卒業を控え、前祝といこう。

そんな栄冠を勝ち取った、不撓不屈の精神に乾杯!

 

オフタイム 昔話に行く                    オフタイム トップに戻る

 

2009/12/24     年貢の納め時
秋も深まる中、「チーム・メタボ」は結成された。トッパー全日本に挑戦するためである。なんとそれは親豚3匹で編成されるチームであった。皆腕に覚えはあるものの、チームリーダー以外現役では無い。昔取った杵柄である。なんとも信頼性に不安が残るのであった…。

選手として参加するのは何年ぶりであろうか。Webmasterも選手の端くれであった。心なしかウズウズしてくるのである。気づかぬうちに息子に対抗心が燃えてくるのは言うまでもない。年甲斐も無く…と笑われそうだが、親子と言えどレーサーである。本性に従うのは当たり前なのであった。
遠征準備の土曜日、艇の整備を行った。トッパーはポリプロピレン製である。長年の疲れが溜まり、船底が毛羽立っているのであった。これでは水中抵抗が高くなり、重量級であるWebmasterは不利となる。息子は40キロ台と軽量級であった。トッパーのベスト体重より若干軽いものの、Webmasterより有利なのは間違いない。だとすれば老練な知恵ぐらいしかWebmasterに勝ち目は無い。建屋の裏に船を移動し、人目を忍んでこっそりと毛羽立ちを修正するのであった。
カッター、バーナー、包丁、ノミ…。ありとあらゆる方法を試し、あらん限りの知恵を絞って完了させたのは言うまでもない。地団駄踏んでいる息子の顔を思い浮かべ、ニヤリと笑みをこぼすのであった…。

 
(二日目は透き通るような青空! 風速15mはどこへやら… ブラウザの戻るで戻ってください。)

準備万端整え、とうとう出発当日となった。車内にトッパーを2艇と中学生3人、そして大人2人を詰め込み一路琵琶湖を目指すのである。心なしか緊張がよぎる中、落ち着くことを目標に早めの出発とした。夜半過ぎの到着とし、寝酒のワインを手に入れ遠征の雰囲気は万全である。到着してからの一杯を楽しみにハンドルを握る手に力を入れるのであった。
が、到着して寝酒を飲んでいると次々と他の家族が到着し、なんだか仮眠どころでなくなってしまった。おかげさまで、寝不足ぎみの初日練習となったのは言うまでも無い。

実は天気予報によれば、なんと台風の来襲を報じていた。が、Webmasterの心配をよそに直撃は避けられたようであった。ところが、艤装が完了する頃からなぜか風が上がって来たのである。聞けば台風による気圧の谷が通過するとのこと。Webmasterにとってトッパーは初めて乗る船である。馴れるまではお手柔らかに…と天に祈るのであった。しかしこの後、日頃の行いを反省する羽目になるとは思いもよらなかったのである…。


(笑顔と青空! ようやく楽しめる?天気となった… ブラウザの戻るで戻ってください。)

次第に風は吹き上がり、なんと風速10mを超えた。体重では自信のあるチーム・メタボである。皆の心配をよそに湖上へ繰り出すことにした。トッパーのセールエリアは小さく、Webmasterの体重では十分に押さえきることが出来る。乗り味快調!と思いっきりハイクアウトして楽しんでいた。
そんなWebmasterを知ってか知らずか、風の神様はやっぱり意地悪であった。予告無しに風に息をさせるのである。きけば琵琶湖では当たり前とのこと。反射神経が衰えて来たWebmasterにはアンヒール沈が付きまとう。そんな琵琶湖の風は初体験なのであった。

昔取った杵柄で何とかバランスを保って乗っていた。スマートな船体は敏感である。次第に疲労が蓄積し、反応が鈍くなってきた。油断したその時、不覚にもコックピットに戻りそこねアンヒール沈の憂き目に会ってしまった。しょうがない。沈も練習の内である。気を取り直してセンターをつかむこととした。が、空を切るばかりで何もつかめない。あるはずのセンターがどこにも無いのである。
これにはさすがに焦った。あわてて周りを見渡すが、センターの気配は無い。そう言えば艤装の時、センターの流れ止めがどうも長いな?と不思議に思ったのを思い出す。いまさら思い出したってもう遅い。後悔先に立たずなのであった…。


(前夜祭は深夜まで盛り上がった… 皆さん、ありがとうございました! ブラウザの戻るで戻ってください。)

手を伸ばして流れ止めを探ってみた。きっちり結ばれている。裏返った船底によじ登り、反対側に浮いているセンターを見つけた。両手で船底からセンターを刺し、全体重をかけようやく沈起こしが完了となった。
起きた船によじ登り、コックピットに転がり込んでみると、直ぐそばに海苔ひびの杭が迫って来るではないか。こんなところで杭の餌食になってはクラブの名折れである。あわててシートを引き込み、すんでのところで脱出した。センターが落ちないように注意し、一路ハーバーを目指すことなった…。

ようやく到着し、はたと困ってしまった。自分ではセンターが抜けないことに気がついたからである。見渡すと我が息子の姿が目に入った。Webmasterに気がついたらしく、お疲れ様!と手を上げながら近寄ってきた。なかなか水から上がらないWebmasterをみて、その口元に笑いが浮かんだ。どうやらこちらの内情を察知したらしい。ニヤニヤしながら寄って来た。「どうしたの?」と、解かってるくせに聞いてくる。むかっ腹が立つものの、センターを抜いてもらわなければならないのは確かである。グッとこらえて目で睨み返したのであった…。


(すばらしいスタッフとクラブハウスである! 心からのもてなしに大感謝… ブラウザの戻るで戻ってください。)

翌日はレース第一日目である。前日のチャンピオン候補からのレクチャーのおかげか、Webmasterはドンピシャのスタートを切ることができた。微風の中、艇速の維持と風位のリフトを心がけ、渋いコースを引いていた。が、そのうち風は180度周り、下りのレグも上りとなるのに驚いた。それでも中盤まで良い位置をキープし、我が息子とも時々ミートしていた。おまけに現役達に肉薄し、それなりのプレッシャーを与えることが出来ていたと思う。が、途中から次第に風速が上がり、気がつくと白波が立つほどの天候となった。それ以後は常に面々の後塵を拝することとなり、風波が厳しくなるほど風上に上るのがつらくなってきた。

というのも、Webmasterの技術ではセールの端っこでセーリングするのが関の山となった。一旦風下に下って速度を上げようとすると波に突っ込むし、セールをはらませようとするとコックピットが半分水に沈む…。ともかく重量のあるメタボチームが優位になるためには、速度を稼ぎプレーニングするしか方法は無い。が、その俊敏さと技量は残念ながらWebmasterは有してない。ようやく最後のレグと思って頑張るのだが、遥か彼方で「プーッ!」とホーンが鳴るのであった。初めての船だし…と自分を慰め、技量の範疇で安全帆走を心がけるのであった。
しかし、なかなかもって細身のトッパーは難しい。といいながら、我等がリーダーは現役と同じに走らせるのであった。メタボといえど肉質に違いがあるようである。我等が構成員からは、後光がさして見えたのは間違いない。
お陰でWebmasterはその日一日風波に翻弄され、楽しむどころかほうほうのていであったのは言うまでもない…。


(マスターのピンクのポロシャツとヒゲがたまりません! 大感謝… ブラウザの戻るで戻ってください。)

その晩、盛大なパーティーが催された。素晴らしくアットホームな歓迎であった。皆このパーティーに参加するために、全日本にエントリーしていると言っても過言ではないだろう。(ホントかもしれない?) 会長、副会長、ヒゲのはえた影の首領を始め、スタッフの皆さんの暖かいおもてなしを受け、琵琶湖まで遠征してきた甲斐があったと大感謝であった。昼の風波を忘れ、心から楽しんだのは間違いない。我々チーム・メタボを始め、全員、深夜まで楽しませてもらったのはホントであった…。

レース2日目は風も収まり順風となった。ようやくチーム・メタボも腕の見せ所となったのである。Webmasterもたった1レースだけであったが、微風の中我がクラブの現役たちに肉薄し、その集団に食い込むことが出来た。事実上の引退?から一昔ぶりの快挙である。そんなレベルで喜んでも…と笑われるかと思うが、子供達とタメで遊べるスポーツは少ない。Webmasterからみれば十分幸せである。高校生になったらもうついて行けないだろう。そんな小さな幸せをかみ締めるのだった。

片付けも終わり表彰式となった。常連の顔が居並ぶなか、我がクラブのヒロインが女子1位を勝ち取ることが出来た。中学生であるが、居並ぶ常連を抑え全体でも9位と大健闘であったのは言うまでもない。そんな中、最後に「一番印象に残ったで賞」(たしか…)の発表となった。良く聞いてみると、本部船から見ていて一番印象にのこった選手に贈られるとのこと。どんな美男子が選ばれるのかと興味深深であったのは間違いない。ところが、あろうことかWebmasterの名前が呼ばれたのである。これには驚いた。最後尾は免れたとはいえ、印象に残るセーリングとは言えないはずである。聞けば、そのひたむきなスタイルと、ヒゲの組み合わせが印象的だったらしい。なるほど、納得である。まさか賞を戴くとは思ってなかった。心底嬉しく、本部船の方々に心からお礼を申し上げたのは言うまでもない。それ以後、その黄金色のビジネスバックは、Webmasterの仕事のお供となったのであった。


(たこ焼き風々亭… 子供店長大活躍です! ブラウザの戻るで戻ってください。)

荷物をまとめ、帰路についた。帰りも夜行である。途中休憩を入れ、安全運転を心がけたのは言うまでもない。そのうち日も沈み、睡魔に襲われる時刻となった。次第に車内のおしゃべりも影を潜め、レースの興奮もさめ皆落ち着いて来たに違いない…。
もう単調なエンジンの音しか聞こえなくなった。Webmasterも満足感に浸り、独り余韻を楽しんでいた。
が、そんな静寂を破るかのように、「おーっ! ほんと、パパ、良く頑張った!」と突然後ろから叫ぶヤツがいた。確かにヤツの方が速かったのは事実である。本人はねぎらい半分、勝ち誇ったのが半分と言うところだろう。カチン!と来た。が、本人の成長を願い「ありがとう」と、大人の返答をしてあげた。そのお陰か静かになった。きっと眠気に負けたに違いない。
と思ったのも束の間、再び静寂を破る声が上がった。「ホント、頑張った。アハハハ!」と。振り返ってみると満面の笑みをたたえて笑っているではないか!。それを見て思わず目が点になったのは言うまでも無い。

が、不思議と怒りは湧いてこなかった。ハンドルを握りながらWebmasterは思った。そう、そろそろ年貢の納め時なのである。亡くなった親父から教わった「おぐりめぐり」の心を思い出した。真髄に触れたと直感した。その瞬間、心のそこから嬉しくなったのは本当である。完敗ということだろうか…。

でも、そのままで捨て置かないのがWebmasterである。老練な知恵と経験を武器に、永遠のライバルとなってやろう。体力では勝ち目が無いようだが、知力は別である。年はこっちの方が上だし、いま暫くはリードが保てるだろう。ヤツの追い抜く楽しみを奪ってはならない。もちろん、強がりでないのは本当である。


(イタズラっ子の目つきがたまりません! やっぱり子供の次は犬ですね… ブラウザの戻るで戻ってください。)

と言いながら、やっぱり犬はかわいいのであった。Webmaster夫婦のもっぱらの楽しみは、毎晩のお散歩である。5年前に家族となった「りん」嬢を間に挟み、3キロの道のりを歩くのであった。無論、楽しみなので雨や雪の日はお休みである。当人?はこれが実に不満らしく、雨が降ると心なしか不機嫌になるようだ。言葉が分かるのか、間違って「お散歩」などと不用意に発言したら大変である。地団駄踏んで飛び上がってくるのであった。そんな素直な振る舞いは、我々中年真っ盛りの夫婦を和ませてくれるのに丁度良い。ひょっとして孫?の感覚なのだろうか。まだ未体験であるのだが…。ドキドキしてしまうのはWebmasterだけではないだろう。

さて、これで体力勝負では勝てないのが明白となった。犬に逃げる事無く、今後も知力において息子とタイマンを張ることを目標としなければならない。疲れてきた頭脳に喝を入れ、脳力に英気を与える必要があるようだ。
そこで、取っておきの一本を手に入れた。「真澄」と同じ蔵元の山廃純米吟醸生である。山廃の独特の深みのある味わいがたまらない。今晩はそれで一杯と行こう。

追い越されてしまった親豚はWebmasterだけではないはずである。

そんな追越完了の子豚達と、強がってる親豚達に乾杯!

 

オフタイム 昔話に行く                    オフタイム トップに戻る

 

2009/10/06     わんぱくフリッパー
優秀な師匠のおかげもあり、整備班のレベルは知らぬ間にかなり成長していた。なるほど、全員が技術系の出身であれば納得である。分野は違えど相通ずるものを感じるのであった。そのおかげか、互いの判断とその技術力は信頼に耐え得るレベルであるのは間違いない。それらの相乗効果が、成長の原動力と言えるのだろう。
そんな中、なんと自作艇(木造)作りまで手を染めた御仁がいた。そのお話をきくにつけ、オフタイムで紹介せずにはいられなくなったWebmasterであった。そこで是非に!と原稿を依頼することにした…。
それから数ヵ月間、携帯が原稿用紙代わりとなった。通勤電車の中、毎朝毎夕執筆活動に没頭していたのは言うまでも無い。先日その力作を戴いた。早速オフタイム流に紹介させていただくことにしたい…。

それでは、「わんぱくフリッパー」のはじまり、はじまり…

 
(満面の笑みに違いない… 青い海に茶色の帆が似合います! ブラウザの戻るで戻ってください。)

浮かんだ…!。

無意識のうちに生唾を飲み込んでいた。丹精こめて初めて作り上げた船である。初体験は心臓バクバクであった。そんな船主の気持ちを知ってか知らずか、意外にすんなりと浮いてくれたのであった。
浮くように作ったのだから当たり前である。が、水に浮かぶまで真実を受け入れることは出来なかった。勇姿を拝んでようやくホッとしたのであった。気がつくと隣では尊敬を込めた4つのつぶらな眼差しが注がれていた。キラキラと光るその瞳たちは期待と喜びに満ち溢れていた。満を持しながらおそるおそる3人で乗ってみる。安定も良い。まずはひと安心である。そこで、大丈夫!と自らを励ましオールを入れてみた。するとどうだろう、滑るように静かに進むではないか! 親子3人は満足感に満たされ、至極のひと時を過ごすことが出来たのであった。

かくも淡々と自作ヨット第一号は進水したのであった。その厳かな儀式は確かな悦びを伴って執り行われたことは言うまでもない。長男13歳、次男7歳。彼らもいい遊び道具が出来たものだと喜んでいた。
まだセーリング用のリグは製作中だったが、とりあえず逗子湾に浮かんだ時の感動はひとしおであった。あの湧き上がる感動は終生忘れることが出来ないだろう。
Nutshell Pram というこの船はアメリカから図面のみ取り寄せ、木材等材料はすべて自力で調達し作った船である。初心者向けであるせいか、帆走性能も悪く、全長も9フィート半と大変小さい。が、ガフリグの一枚帆とオールの組み合わせはクラシックな舶来の雰囲気を醸し出し、その美しさはなかなかのものであった。暫くしてリグも全て完成し、逗子湾や佐島近辺を親子でセーリングすることと相成った。満面の笑顔で楽しむ次男は、近い将来まさかOPに乗るなど思いもよらなかったに違いない…。

もともと、彼自身もここまで自作艇にはまるとは思ってもみなかった。ただ、幼いころにみたテレビが引き金となったのは間違いない。それは知る人ぞ知る、あの「わんぱくフリッパー」であった。
主人公のサンディーとバドは学校から帰るなり、そのまま家を素通りして裏庭から海に飛び込んだ。イルカを呼んでボートに乗り、さっそうと出かけるシーンを幾度も眺めていた。そんな素晴らしくも羨ましい世界に洗脳された彼は、潜在意識の中に海への憧れとして刻まれたのであった。そう、フリッパーの誓い?とでも言えるのではないだろうか…。
そんな潜在意識は次第に具体化してきたのであった。知らぬ間にシーカヤック乗りとなり、そのうちセーリングカヤックまで進化した。いつのまにか技術屋魂に火がつき、気がついたらカヤックがディンギーに変化し、自作まで始めてしまったのである。そんな自作魂を育んだのは偶然の出会いに他ならない。久里浜住んでいた頃のアパートの隣人殿がきっかけであった。なんと幸運にも彼は本職のヨットビルダーなのである。フリッパーの誓い?を立ててしまった彼が、こんなチャンスを見逃すはずが無い。
奥方には気がつかれなかったが、胸の中にポッ…と小さな炎が燈ったのであった。しらぬまに蒼き炎は大きくなり、廊下をカンナ屑で一杯にさせるなど思いもつかなかったことだろう。もうだれにも消すことの出来ない、大いなる自作魂と化していったのであった…。


(次第に形になってゆく… 気の遠くなるような作業の果てなのであった… ブラウザの戻るで戻ってください。)

1艇で満足できるような彼ではなかった。2号艇の製作は自然の成り行きである。今度はすこしステップアップし、キャットリグからスループにレベルアップすることに決めた。むろんクルー候補生達の存在が後押しとなったことは言うまでも無い。横山晃氏設計で全長約13フィート半のスパロー2である。が図面はどこか古びており、奥方の不審な目つきにきに少々ドギマギしていた。実は一号艇を作る前から図面を購入し、天井裏で出番を待っていたとのこと。最初から確信犯だったのは間違いないようだ。
思わず呆気に取られらたのはWebmasterだけでは無いだろう…。

黄ばんだ図面を広げ、現図(実物大の図面)を作り終えた。近所に作業場所を確保し簡単な小屋も立てた。フレーム用の木材を前にし、仁王立ちとなった。もう後戻りは出来ない…。腹に力を入れ、雄叫びをあげたのであった。(ほんとか?)
いよいよ本格的な着手となるが、クルーの技術向上を忘れていた。もしかしたら船を自作する以上に難しいかもしれない。スループの帆走は1人では面倒だ。うまくやらないとコンビが結成出来ず、海上デビューが海の藻屑となる…。

長男は部活に夢中だし、一丁前の高校生である。忙しいからダメーなどと恩知らずなことを言う年頃で、まず無理であると悟った。
次に白羽の矢を立てたのは小学四年生の次男である。通っていた体操クラブが自分に合わず、悩みぬいてフリーとなっていた。これ幸いと外に連れ出し、彼と次男は地元である逗子ジュニアヨットクラブの門をたたいたのであった。おかげさまでとりあえずクルーを1人確定することが出来たのであった…。

しばらくして
毎日曜日の逗子湾通勤が始まった。ようやく少しは乗れるようになったものの、突然返るブームにおびえ、バウ沈しては呆然とする毎日となった。挙句の果てに向こう見ずなジャイブで前転を繰り返し、途方に暮れて苦戦していた。それでも父の計画を知ってか知らずか、めげずに練習してくれていたのは言うまでもない。寝顔を眺めながら無言の感謝を送るのであった

息子の練習に熱い視線を送りながら、空いた時間を見計らい作業場へ足しげく通ったのだった。その頃には船体のフレームは出来上がり外板も貼り終え、フネとしてのセクシーな形とボリュームが姿を現してきたのであった。彼にとってはマリリンモンローより魅力的なボディラインであったことだろう。
ともかく週末は何かの形で海と触れ合い、「フリッパーの誓い」を実現しつつあると言えるのであった。

奥方連には申し訳ないが、旦那連にとって「欲しいモノは作るに限る!」という秘策を伝授しておきたいと思う。昨今のお産(小さく生んで大きく育てる)と同じで、目立たずに着手出来ることは大きなメリットである。いきなりフネを買ってこようものなら大蔵大臣から否認され、三行半を突きつけられかねない。事前交渉したとしても難攻必至と思われる。ところが図面や道具、少々の材料を揃えるだけで始められるのだから容易と言える。
既成事実を繰り返し、積み重ねられた実績は最大の交渉人となる。難攻不落と思われた奥方からも、「へえー大変ね、ガンバッテネ」などとエールまで賜ることとなる。
このスループも、一番最初に買い揃えたのは実は図面だけであった。(天井裏で発酵寸前であったが) 
ようやく形となってきた。奥方は通りすがりに横目でながめ、「いつ出来るの?」とやさしく声をかけくれた。(けっして上辺だけではない…。) 
あとは完成後の置き場さえ心配すれば問題無い筈である…。

冬も近いある日、クルー候補生は逗子市民ヨットレースにエントリーした。本人も大張り切りで、「優勝できるかなあ」などと大胆不敵なことをのたまっていた。が、意気揚々と出かけたものの、今日の海岸通りはやけにサーファーの姿が目に付くのであった。そんな見慣れない光景を目にし、脳裏にイヤな予感が走るのは本当である。普段見かけないのにずらりと並び、さしずめ電線にならぶシジュウカラのようであった。見ると肩の高さぐらいのうねりが入り、おまけにまったくの無風という状況である。
逗子では浜出し以外に方法がなく、案に違わず大波にもまれての出艇となった。一生懸命頑張るものの、あっという間にバウから波が入り、水船となってしまう。全身ずぶ濡れ砂まみれで奮闘したのだが、結局出艇を断念せざるを得なかった。

結局終日大波が続き、初レースにもかかわらずとんだ洗礼を受けることとなった。挙句の果て、あろうことか買ったばかりの遠近両用メガネまで流してしまった。海の女神が使ってくれることを期待し、潔くあきらめることとした。
ここでめげたら元も子もない。自作魂に再びエネルギーを吹き込み、クルー候補生にも元気を注入したのであった…

 
(次第に形になってゆく… 案に違わず庭を占拠してくれた… ブラウザの戻るで戻ってください。)

翌週船体フレームを据付船台から切り離し、ロールオーバーして正立させることとなった。これでデッキ内部やセンターケースなどの工作に移ることができ、デッキ外板まで暫くのうちに貼り終えることができたのであった。
ここまで来ると据え付け船台はもう不要となる。ようやく借りていた駐車場を解約返上し、小屋も解体の段となった。師走も終わりに近づき、それらしく出来上がったフネは自宅に移動され庭を占拠する。買い物から帰った奥方をおどろかすには十分であった。

それからの半年間は、マストやブーム、センター、ラダー、に時間を費やすこととなった。サンディングや塗装に勤しみ、颯爽と乗りこなすクルー候補生と自分を心に描くのであった。そんな心を知ってか知らずか、奥方から間断ないクレームが飛んでくるのであった。邪魔、庭が傷む、塗料が臭い、お隣に迷惑!と怒られっぱなしの週末となった。時には稼ぎが悪い!などと言われることがあったかもしれない。(ほんとか?) そんな冷ややかな視線に、平身低頭耐え忍ぶ毎日となった。マストをカンナがけするときは家の廊下にまで進出した。おかげで敷物のようにカンナ屑が敷き詰められ、木の香りで一杯となり本人だけは気分上々であった。が、そこいら中カンナ屑だらけになっていたのだから頭が上がらない。自作艇フリークとしては、致し方ない力関係と言える。
フネとしての形はすでに出来上がっているため、目に見える進捗状況は感じられない。傍目にも面白く見えない。しかも細々とした仕事は沢山あるし、奥方に頭は上がらないという環境である。モチベーションのキープには並々ならぬ苦労があったのは言うまでもない。
この苦しみに耐えてこそ自作艇オーナーは一人前!と独り言をつぶやき、モチベーションの向上に力を入れるのであった。

そんな傍らで候補生氏は、逗子ジュニアの中で次第に腕を上げていった。というと格好良いが、本人が思う程には上手くはなっていないらしい。初詣セーリングで、海上から森戸神社にお願いをし、拍手を打った。上手くなりますように…。澄み切った青空、紺碧の海、どっしり構えた富士山達が祝福してくれているようであった。
と言ってるそばからスプリットがだらしなく緩んでいるのだからたまらない。セールがお辞儀しているのである。お辞儀するのは本人だけで、セールはしなくとも良いはずである。本人の意気込みは買うが、先が思いやられるのであった。これでは神様にお願いする以前の話である。あらあら…。

庭のお荷物はめげることなく工程が進み、桜も散って入梅となった。船体細部、マスト、ブーム、ラダー、センターボードなどの木工作業があらかた終わり、艤装品を買い揃えた。江の島ヨットハーバーに置き場を確保し、塗装工程に入ることとした。これが完了しないと搬入できない。この夏を目標に日夜作業を進めてきた。そんなあせる主人をしってかしらずか、庭の主は静かに時が来るのを待っているのであった。

もう週末だけに頼るわけには行かない。ピッチを上げ、出勤前もサンディングとペイントに時間を費やした。毎朝早起きし、晴れを確認。サンディングとペンキひと塗りしてから会社へ赴くのであった。手をきれいに洗うヒマがなく、度々ペンキがついたままの出勤となった。だが時間の方が惜しい。なりふり構わずの毎日となった。
雨の日は塗装できないがサンディングだけでもやっておくのであった。遅くとも7月にはハーバーに持って行かなければならない。でないとハーバーの手続きが無効になってしまう。一日でも無駄には出来ない。ということで毎日何らかの作業を進めた。やはり締め切りがあれば仕事は進むものである!と妙に納得するのであった。

そんな中、大変残念ではあるが、諸事情により逗子ジュニアが解散となってしまった。いじらしくもクルー候補生からヨットを続けたいとの意思表示があった。そんなご縁もあり、我がクラブの一員となったのは言うまでもない。


(どうだろう、この勇姿… 親子で自作艇に乗れるとは、幸せのかぎりである。 ブラウザの戻るで戻ってください。)

江の島に行った初日、自分なりに精進してきたつもりであったが、練習量の多さとレベルの高さに圧倒されてしまった。加えて自分のヘタさかげんに愕然としたようで、伏し目がちとなっていた。ここでめげてしまったらマズいなと思ったが、候補生氏は悔し涙を拭って闘志を燃やしていた。自ら何もかもやり直しと鼓舞し、気持ちを切り替え練習に勤しんだ。
戸惑いながらも、入部の翌週にいきなりレースに参戦となった。事実上これが初めてのレース出場となったが、1レース目はどうにか時間内ギリギリで完走することが出来た。後半は少し調子を上げ、初心者クラスではあるが最終成績は7艇中4位。ありがたいことに賞状まで頂いた。
入部時の絶望感はこれで吹っ飛んだに違いない。先は長いがなんとかやる気をキープし、モチベーションを保つことはできたに違いない。多くの人のお世話で起死回生の復活を遂げられたのだと思う。深く感謝したい。

修験者のような毎日の修行がようやく実を結んだ。7月の始めに塗装を終えたフネをハーバーに搬入することが出来たのである。残すところ艤装作業のみ。奥方も頭痛の種が庭先から消えて、さぞかしほっとしたことと思う。強制執行をよくぞ我慢してくれたモノダネと言える。こちらも深く感謝したいと思う。

すのこを貼り、マストを立て、クリート類を取り付けた。簡単なようだが慎重を期して作業を進めなければならない。ここで間違えると手直しの憂き目に会う。ところが、ギャラリーが集まり作業がままならないのであった。自作艇は珍しく、当然質問の嵐となる。いつのまにか四方山話となり、さらに時間が過ぎ作業が進まないのであった。が、自宅でこつこつ1人で作っていた時より世界がぐっと広がった感じがし、ゴール直前となった気がする。むろん海を目前にしてしまうと、早く進水したくて気ばかりあせるのは致し方ないのであるが…。

なんだかんだで8月になってしまった。ようやく全ての艤装品を付け終わった。陸でできることはここまである。後は海に出て調整するだけであった。「ああやっと出来上がったなあ〜」とは思うが、それ以下でもそれ以上でもない。不思議なほど感動しないのであった。特に進水式をするつもりはない。一号艇の時のように淡々とやろう…。

翌週候補生氏に手伝ってもらい、セールを張ってスロープから粛々と進水した。よかった、ちゃんと浮かんでくれた。あろうことか、シートが引っかかり、桟橋で半沈する羽目となってしまった。なんとも頼りない雰囲気ではあるが、人が乗って走り出せばとても安定する良い船である。おかげでアカ汲みを買っていなかったことに気づいた。大急ぎでショップに買いに走り、水をかきだして、出港準備は整った。候補生氏には前のほうに乗ってもらい、私は舵を取ることとした。セールを引きこんでいざ出艇!。

おお、走る! ここで初めて完成の喜びを一気に感じた。一号艇のときの感動も鮮やかによみがえったのは本当である。いろいろと調整や改良したい箇所もあるがおおむね問題なく走る。加えて我が息子にティラーを任せ、彼はしたり顔でご満悦だったのは言うまでもない。かの候補生氏からは「OPよりも早くてすごくいいね」などとお褒めの言葉まで戴いた。

もう時間に追われることもない、調整は追々とやっていこう、息子のOPもまだまだ先は長く目標も遠い向こうにあるが、あせらずしっかりとやってもらおう。

わんぱくフリッパーみたいにいつも海をベースにして遊ぶ環境はこれで整ったのであった。

おしまい、おしまい…。

さて、長い歳月をかけ、彼はここまで来ることができた。数々の苦難に対峙し、最高の楽しみを謳歌しているのは間違いないようだ。やはり粘り強さは重要である。

「成せばなる 成さねばならぬ何事も 成らぬは人の成さぬ成けり」

そんな上杉鷹山の言葉を思い出してしまう御仁であった。我々も不撓不屈の精神で、子豚の教育に邁進しなければならない。(ホントである)

時々暑い日が残る今日この頃である。本日はFour Rosesでバーボンソーダ割りとしよう。ソーダの在庫も最後である。次回からは気分を変えて秋を楽しむこととしたい。

候補生子豚君と、その仕掛け人である親豚殿に乾杯!

 

オフタイム 昔話に行く                    オフタイム トップに戻る

 

2009/08/10     無為自然
イギリスのアーサーランサムと言う、著名な児童文学作家をご存知だろうか。今から80年前、イギリス北部のカンブリア湖水地方を舞台とし、少年少女達の冒険を描いた作家である。ウォーカー兄弟をはじめ、暖かい大人たちに見守られた子供たちの成長を暖かいタッチで描いている。主人公達は自ら小帆船(A級ディンギー)を操り、キャンプし、大自然の中で少年時代を謳歌していた。日本でいえば昭和初期の作品になり、少々ノスタルジックに感じるかもしれない。が、時代を超え、現代の我々へ子供たちの表情を生き生きと伝えてくる素晴らしい作品なのであった…。


(親子ヨット教室… 笑顔がたまらない! 我等が部会長もドラゴン級で現役です! ブラウザの戻るで戻ってください。)

昔、我が家は家計の足しにと下宿生を抱えていた。優しいお姉さんとお兄さんのふたりである。彼らに憧れ、子供心に尊敬の眼差しで見つめていたのを思い出す。実家で厳しくしつけられてきたせいか、特にお兄さんの方は立ち居振る舞い、行儀作法、礼儀などについては大変厳しい人であった。
年の差は大きいながらも兄貴分である。時々部屋に遊びに行かせてもらい、空いている時間に得意の工作を教えてもらうようになった。が、こちらは年端も行かない子供である。決められた時間だけでは満足できないのであった。ついつい我慢できず、扉の隙間から天井を眺めていたのを思い出す。そのうち隙間が広がり、知らずしらずに頭が入っていってしまうのであった。気がつけば定規でコツンとされ、中に呼ばれて立たされたのであった。
ノックもせずに覗き見するのは失礼!と怒られた。今考えれば当たり前である。が、天井から吊るされた模型飛行機や、棚に飾られた帆船模型は子供にとって垂涎の的なのである。そんな魅力的なものがぶら下がっていては、我慢できるわけが無い。知らぬ間に入っていってしまうのもうなづけるのであった。
が、部屋の片隅で立たされていても、実は大変楽しかったのである。申し訳ないが、じっくりと眺めるには絶好のタイミングであった。宝箱の中に立たされているような感覚である。今にして思えば、メカ好きになったキッカケは彼のお陰と言えるだろう。竹ヒゴの曲げ型、紙の張り方、切り出しナイフの使い方など、工作の基本から応用まで教えてもらった。単身赴任の父親に代わり、Webmasterの幼年時代の先生となったのは間違いない。


(うちのコーチ、オリンピックキャンペーンを張ってます!…  ブラウザの戻るで戻ってください。)

その彼が久しぶりに上京した折、突然遊びに来てくれた。一通り挨拶が終わるとWebmasterが呼ばれた。「君に読んでもらいたいんだが…。」と一冊の本を手渡された。それがこの「ツバメ号とアマゾン号」である。本人もこの本を読んでヨット乗りになったとのこと。たしかに一緒に貰った写真にはA級ディンギーと写っていたのを思い出す。
Webmasterは子供の頃からの本好きであるため、冒険小説と聞くと興味津々となる。本来は5〜6年生向けの児童書(厚さ4センチ!)なので、きっと2年生のチビには荷が重いと思ったことだろう。が、そんな心配は無用であった。気がつけば登場人物のひとりとして船に乗り、山を歩いていたのであった…。

翌朝気がついたら本のページがヨダレで一杯だったのを思い出す。それほどまでにWebmasterの心はわしづかみにされたのだった…。


空がきれい!… 素晴らしい船でレース観戦させてもらいました! ブラウザの戻るで戻ってください。)

おかげで暇があれば開いていた。2年生のWebmasterは、しっかりとウォーカー家のロジャになりきり、冒険に参加していたのであった。ある晩いつもの通り学習机のスタンドを頼りに読み進んでいた。ロジャになりきったWebmasterは、小帆船(A級ディンギー)に乗り込み、配役とおり船のボーイになっていた。その時、実は競争相手のアマゾン号に勝つため、親との約束を破って夜間航海をしている最中なのであった。「ノロマハノロマデナケレバオボレナイ…」。父から貰った電報にはそう書いてあった。夜間航海で座礁沈没すればノロマ以外の何者でもない。つまり、両親からの信頼と、競争に勝ちたい欲望を天秤にかけたのだった。リーダーであるジョンは、思い悩んだ末、危険な領域に足を踏み込んでしまった。こんな苦しい決断は、思いは形を変えて皆経験するのではないだろうか。当たり前だが、思慮分別をもってすれば、真っ暗な湖での夜間航海など行わない。乗組員を危険にさらすことになるのだから当然である。が、競争相手のアマゾン号に勝つためには少々の危険は止むを得ない。そんなジョンの気持ちを背に、もやいロープを手に着岸のタイミングを計っていた。そしてジョン船長からの合図をもらい、力いっぱい岸に飛んだのであった。
が、なぜか力足りず、湖に落ちてしまうのであった。なんか変である…。実に格好悪いのであった。

ロジャはそんなドジでは無い。どうもおかしい。気がついてみると、丑三つ時にも係わらず煌々と電気を灯し、本に突っ伏して寝ていたのであった。どうも夢のなかでまで物語に参加していたようであった。
おまけに机の上のコップも倒れており、本も自分もビショビショになってしまったのは懐かしい思い出である…。


(スタート… 緊張が走ります! ブラウザの戻るで戻ってください。)

そんなノリで全12冊、確か2年程度で読みきった記憶がある。読み応えのあるシリーズであった。が、すこし経つとまた読みたくなるのであった。次第に自分が同化する人物の年齢も上がり、最後は一番年長のジョンとなった。読むときのWebmasterの年齢にあわせ、同化する登場人物も変遷してきたようである。それが長年にわたり読み続けられた最大の理由なのであろう。
気がつけば、登場した男の子の全てに、一度はなりきっていたことに気がついた。

最近も案に違わず読みふけってしまった。読み進むうち、Webmasterは、今回子供たちの親であり、良き理解者でもあるフリント船長の目線になって物語に参加していることに気がついた。気がつけば40年近い時間をかけ、ロジャからフリント船長まで成長したようだ。それぞれの役割に立ち、責任、権限、義務など、子供から大人まで登場人物ごとに目線を変え、同じ物語を考察できることは価値あることと考える。ようやくランサムが伝えたかったことが理解できた気がするのであった。
これが、ランサム全集が親から子へ読み継がれる理由なのかもしれない。


(国際色豊かです… 我等が先輩の名前も発見しました! ブラウザの戻るで戻ってください。)

ランサムが執筆を始めたのはWebmasterと同じ45歳である。同じ年代の父親として眺めてみても非常に面白い。イギリス流の教育のやり方なのだろう、子供たちの気づきを非常に大切にしているのであった。大人たちは取り返しのつかない事態にならないよう最善の策のみ事前に講じておくものの、子供たちの自主性を重んじ、最低限の関与しかしないように努力している。むろん子供たちも自主独立を旨とするものの、思慮分別を深く理解し、大人達との約束(安全)を最大限守るべく努力し、結果、ある程度守られた範囲内で冒険を続けることが出来るのであった。
が、ときに偶発的な事故で大きな危険に遭遇してしまうのであった。そこに大人たちはいない。当然助けを呼ぶことも出来ない。そんな中、あらん限りの知恵と勇気で対処し、ぎりぎりで切り抜けるのである。そのたびごとに、少しづつ人間の器が大きくなり、成長してゆくのであった。
言い換えれば、大人は見えないガードレールを作って上げて、その中で子供たちの成長を見守って上げているのである。しかし偶発的な事故は、時に見えないガードレールを乗り越え、子供たちを未知な危険な領域に引き込んでしまうのであった。
子供たちだけで危機を乗り越えなければならない。少ない経験しかなくとも、それまでに養った英知をあらん限り使い、安全な領域に再び戻らなければならないのである。

そんな場面になると、Webmasterは今でもドキドキするのであった…。


(トップ3艇の上マーク回航… 馬主?達もいい顔をしています。! ブラウザの戻るで戻ってください。)

これ以上の教育があるだろうか…。大人になって読み返し、ようやく気づいたようであった。ランサムはこの全集を通じ、社会における教育の理想を追求していたのではないだろうか…。子供と親の関係、地域と子供の関係、モラル、理想、思慮分別、常識など現代におけるそれらとは隔絶の感がある。
80年前に比べ技術や知識は大きく進んだが、人間の根本たる部分の教育は変わらないはずである。むしろ現代の我々が忘れかかっていたことを、こうして思い出させてくれていると感じる。ともすれば昨今は自己愛が深くなり、辛抱できない子供たちが増えてきている。子供たちだけでなく、大人達も同様かもしれない。

老子の思想で、「無為自然」という言葉がある。人には生まれつき徳があり、特別な教育をしなくとも、人は自力で成長することを指す。諸説解釈はいろいろあるが、Webmasterは次のように考える…。
親や指導者を始め周囲にいる人間達の徳が高ければ、子供たちはその影響を受ける。そすれば自然の本性に従って自ら自己啓発し、周囲の深い理解のもとで成長してゆくのである。ルールで規制したり無理な教育をしなくても良い。
本来人間は知的欲求が高いのだから、子供たちのレベルに合わせ、思慮分別と判断力を求めて行き、気づきのキッカケを与えてあげれ必要がある。
あとは待つことが肝要!と心得る…。


(運営の皆さま、ありがとうございました…  ブラウザの戻るで戻ってください。)

Webmasterは、それが教育の本懐では?と考える。力でねじ伏せるような教育をしても、子供たちを支配することとなんら変わらない。支配されることに馴れてしまえば自発的な行動は少なくなり、集団の活性は低くなってしまう。言わずもがな主体的な想像力も無くなり、思考は停止してしまう。やはり自主自律を旨とし、いかに「気づき」を旗印に教育を行うか?が重要であるとWebmasterは思う。

むろん、「気づき」だけを待っていても子供は楽な方向に向かうだけになる可能性が高い。ゆえに「気づき」を期待しながらも、問題提起と結果要求を行うことが重要なのである。流行のコラボレーションということなのだろう。その役割が親であり、指導者であり、良き理解者達であるとランサムは言いたかったのかもしれない。

ロジャからフリント船長まで、Webmasterは40年を費やしようやくランサムの真髄を理解したのであった…。


(表彰式… 皆良い顔をしています! ブラウザの戻るで戻ってください。)

神なき知育は知恵ある悪魔をつくることなり…。

Webmasterは、教育とは徳育であると考える。道徳教育が満たされていなければ、いくら物理や数学を教えても無意味である。むしろ、知恵ある悪魔を育てることにになりかねないと警告している。我々大人たちが手を取り合い、次世代の子供たちの教育に邁進してゆかねばならない。

そう、教育は奥が深い…。明治の先人は国家100年の計は教育にありと唱えた。その根本は徳育と心得るのであった。教育が趣味のWebmasterに、ランサムの全集は大きな影響を与えてくれた。賢人に深く感謝したい…。

先日知り合いから「マッカラン」を戴いた。シングルモルトの味わいの一品である。Webmasterは昔はバーボン(それもジャックダニエル!)しか飲めなかったが、最近は違って来た。口当たりの良さと、強い主張の香りがたまらない。
年を取ったということなのだろうか…。

本来は邪道だが、今は夏である。クラッシュドアイス(ミストと呼ぶ飲み方らしい…)に注ぎ、戴くこととしよう。

自立間近い子豚達と、その親豚達に乾杯!

 

オフタイム 昔話に行く                    オフタイム トップに戻る

 

2009/06/03     天真爛漫
そう、それはやっぱり「笑顔の君」だった…。誰しも郷愁は感じるものである。6年間もの間、学び舎として過ごしてきた建物に愛着を感じないはずが無い。廃校となった母校を思い出す度、胸が締め付けられる思いに駆られるのであった。なにせ去年の今頃彼女はこの小学校を卒業し、それと同時に廃校となったのだから…。
実に彼女らしいエピソードを耳にした。是非、少々?の脚色を交えオフタイム流に紹介したいと思う。なにせ、Webmasterは自称ファンクラブ会長なのだから…。

「天真爛漫」のはじまり、はじまり…。


(2馬力… 我等が部会長もドラゴン級で現役です! ブラウザの戻るで戻ってください。)

バブーッ!と世に誕生し、あっと言う間に幼稚園を卒業となった。お陰さまでその笑顔は周囲の人の心を和ませ、たくさんの人々を朗らかな気分にしてきたことは言うまでもない。本人は気がついてないかもしれないが、天真爛漫なのか、天衣無縫と言うべきか、あの茶目っ気と優しさは心に沁み入るものがある。付き合ってみると分かるのだが、人懐っこく寄って来ておくびもなく甘えるかと思えば、悪びれること無く真剣な表情で友達をからかっているのである。かと思えば年下にはものすごく優しい彼女であるが、理不尽な輩がいると、まなじりを吊り上げ、相手が怯むほどの剣幕で迫るのであった。曲がったことが許せない真っ直ぐな性格は、そんな一面も育てたようであった。どちらにしろ、彼女の生きる信条として一本筋が通っているのは間違いない。
天邪鬼なWebmasterからみれば、そんな彼女に魅力を感じないはずがないのであった…。

日曜日のOP練習もさることながら、学校生活でも、その天真爛漫な性格は他の追随を許さない。皆のムードメーカーとなり、クラスの中心となっていたのは言うまでもなかった。
そんな桜並木と入学式が思い出深い小学校である。新緑の季節を迎え、友達と1年前の卒業式に思い出話を咲かせていた。が、そんな楽しい気分も束の間、言い知れぬ胸騒ぎに襲われるのだった。「廃校になってそのままだって…。誰も居ないんだって…」。 6年間を共に暮らした学び舎である。突然心に言いようの無い不安を覚えるのだった。「よしっ、いこう!」 親分肌の彼女は仲間を誘い、廃校となった小学校に踵を返して向かったのだった…。


(釣り人… お客さんで一杯です! ブラウザの戻るで戻ってください。)

足早に古巣の小学校に向かった。夕暮れ時が近づき、中学生の女の子には少々気味の悪い時間帯となってきた。が、心は逸れど足は追いつかない。思ったほどに歩みは進まず、気ばかりあせるのであった。エネルギーが有り余る年頃である。次第に小走りになり、いつしか全員で全力疾走となったのは言うまでも無い。
ようやく古巣に到着した。見れば大きな鎖が門に絡まり、ごつい南京錠がかけられているではないか。おまけに警備会社の物なのか、「立ち入り禁止」の警告まで掲げてあるのであった。彼女にとっては、古い友人が傷だらけになって窮地に立たされているようなものである。気分が良いわけが無い。
そんな時であった。「パタンッ!…」と、どこからか音が聞こえた。またしばらくすると「パタンッ!…」。
音のした方向をよく眺めてみると、ガラス窓のあった場所にダンボールが張られていた。どうも投石によって割られたらしい。その保護に段ボールが張ってあるのだろう。それが中途半端に外れかけ、風に煽られパタン!と音を出していたようであった。

こういう時に虫がうづいてくるというものである。きっぷの良い母譲りなのか、茶目っ気が静々と首をもたげて来るのであった。どうも「パタンッ!、パタンッ!」と言う音が、彼女には「おいでー!、おいでー!」と聞こえたらしい。友達がおしゃべりに夢中になってる隙に、何かに導かれるようにフラフラと歩きはじめたのだった…。


(食事中… みんないい顔です! ブラウザの戻るで戻ってください。)

勝手知ったる我が母校である。いつしか心配モードが探検モードに切り変わっていた。「おいで〜、おいで〜」と言われれば、素直に行かずにはいられない。クルクルと良く動く目が茶目っ気タップリに光り輝き、いつのまにか満面の笑みまで浮かんでくるのであった…。
まずは正面突破と門扉に噛り付いてみた。が、がちゃがちゃと鎖がなるばかりで、高い門扉を越えるには目立ちすぎるのであった。おまけに学校は高台にあり、堅固な要塞の如く挑戦者達を退けているのであった。早々に裏側からの進入に作戦を切り替え、正面の下り坂を降りることとした。
山麓?の住宅街を回り込み、裏手のお寺さんからの進入とした。コマンドーの映画を地で行くような筋書きである。ほふく前進の上、周りの危険を確認し安全を確保した。首尾よく寺の境内を通過し、お墓を越えてフェンスに到達した。歴史のある学校である。敷地の周囲は深々とした森に囲まれ、夕闇が迫り来るコマンドーたちにとって最適の環境となっていた。フェンスを乗り越え、海兵隊の訓練の如く歩を進めた。左に右に…。隠れるものの無い校庭は横断するには危険である。ぐるっと迂回し、周囲の木々に身を隠しながら前進を続けた。俊敏な彼女達はしなやかに進入を完了し、敵に発見される事無く、無事に目的地に到着したのであった…。

1階の窓が目的地である。風に煽られてるダンボールを前にし、「いくよっ!」と仲間に声をかけた。中に入ろうと、足を入れたその瞬間、「ビーッ、ビーッ、ビーッ!」と大音響で警報が鳴り響いたのである。大誤算であった。
廃校に伴い、警備会社によって警報機が取り付けられたらしい。これにはさすがに驚いた。中学生では解ろうはずも無い。まずは退避である。敵の思う壺にはまったコマンドー達にとって、捕まる事無く撤退するのは定石である。脱兎の如く現場を後にし、一直線に元来た場所から校外に出たのであった。


(食事中… みんないい顔です! ブラウザの戻るで戻ってください。)

全速力で走ってきた彼女達は、近くの公園に付くまで息着く暇も無かった。気がつけば、ぜーぜーと皆仰向けに寝転がっている始末である。とりあえず仲間の家に集結し、前後策を検討することにした。普段どおりの笑顔でご両親に挨拶し、お菓子を囲んで進入時の回想から会議を始めたのだった。
が、なんか気分は晴れやかにならないのであった。勝手知ったる我が母校である。そもそも悪いことをしている実感は無かった。が、大音響のブザーがなり、こうして脱兎の如く撤退してくれば、やはり一抹の罪悪感を感じないはずがなかった。当初は、悪いことはしていない!と、そのままにしておく予定だったが、やはり善良な彼女達である。気持ちが揺らいでいたのは間違いない。学校が気になって仕方が無いのであった。

だれかれと無く、家からでた面々の足は学校に向かっていた。門前に着いてみると赤い回転灯が周り、ただならぬ気配を感じたのだった。その雰囲気を感じ取った彼女達はすぐに「私達です!」と自ら申し出た。突然の申し出に面食らったお巡りさんはしばらく言葉を失ったが、直ぐに状況を理解した。要は犯人が自主したのである。堰を切ったように彼女達は話はじめ、お巡りさんは聞き取るのに大変だったのは言うまでもない。全てを聞き終わったお巡りさんは、最後は笑い出してしまったらしい。そう、こんな真っ直ぐな娘達はそうは居ないのだから…。


(いざ鎌倉… みんないい顔です! ブラウザの戻るで戻ってください。)

Webmasterがお巡りさんならば「解った!帰ってヨシ!」と言ってしまいそうだが、警報機がなった手前そうは行かない。一応お決まりということで署に同行し調書を取られることとなった。拇印まで押させられ、彼女達はきっと心臓が破裂寸前だったことだろう。しばらくして両親が呼ばれた。一生懸命お巡りさんは笑いをこらえていたらしいが、なにかひとこと言うたびに笑みが漏れていたとのこと。やはりお巡りさんも彼女達の魅力にはまったものと思われる。

両親に貰い受けられ、署を後にした。帰り道、家族で協議した結果、自らの戒めのため、一番大好きなヨットを1ヶ月間我慢することとした。その間、きっと寝てもさめても頭の中はヨットだったに違いない。父から間接的に皆の健闘を聞き、ひそかに闘志を燃やしていたと思われる。

お陰さまで一ヵ月後、無事に再デビューを果たしたことは言うまでもない…。

めでたし、めでたし…。


(いざ鎌倉… みんないい顔です! ブラウザの戻るで戻ってください。)

しかし、今時こんな真っ直ぐな子は探してもそう簡単に見つからないだろう。普通だったら逃げてしまってそのままである。が、しっかりとした良識を心の中に持ち、茶目っ気とは別にケジメをつけようと、自ら判断したのは素晴らしいと思われる。親豚仲間に学校の先生がおられるが、彼も異口同音に同じ反応を示していた。やはり教育に造詣の深い方々でも、おー!と感嘆の声を上げてくれるのだった。
Webmasterもその昔、軒先のイチジク、ざくろ、柿など、先を割った竹を隠し持ち味見と称して頂いていたものだった。お陰で季節感は人より敏感になったのではないだろうか。たまに後ろから「コラー!」と怒鳴り声が飛んで来ると一目散で蜘蛛の子を散らすように逃げた記憶がある。当時も太ってはいたものの、今より走れたものと思われる。


(柏餅… うれしい差し入れが入りました! ブラウザの戻るで戻ってください。)

そんな中、しっかりと分別を持ち、自主してミソギをし、ケジメをつけたのだから、アッパレ!と言うほかないだろう。むろん、警備中の学校に無断侵入したことはいけないことである。大人としての思慮分別を持っているならばあり得ない話だが、今回は自ら申し出ている点も考慮し、寛大な大岡裁判とするべきだろう。

Webmasterは宮崎アニメの大ファンである。魔女の宅急便の主人公と同じ空気を感じてしまうのは本当である。お父様にとっては耳の痛い話かもしれないが、きっと「お嫁にください!」と言って家の前に長蛇の列が出来ることだろう。あまりの数に入札制度にしなければならないかもしれない…。(ほんとか?)
ま、それだけ良い娘と言うことである。我れらが子豚連(♂)の甲斐性も引き上げ、逆入札されるぐらいのレベルまで引き上げなければならない。教育をモットーとするWebmasterにとって、明確な目標が見えてきた次第であった。


(いざ鎌倉… みんないい顔です! ブラウザの戻るで戻ってください。)

しかし、子供たちには驚かされること、毎日である。折に触れ、子豚達の成長を目の当たりにし新鮮な気持ちになること請け合いである。日々子豚の叱咤激励に専念し、そんな高尚なことは忘れているが、振り返って考えてみると自らの勉強になっている気がする。なるほど、子育てすることは自分の勉強になる!と言われるた本当の意味が、ようやく理解できるようになった気がする。

先週、「常きげん」の「山純吟」を仕入れてきた。お宝の一品である。お陰さまで北陸の出張には少し心が踊るものがある。やはり買い込んだときの嬉しさは格別であった。

本日はそのお宝を頂戴することにしよう。

愛でられる子豚達と、その親豚達に乾杯!

 

オフタイム 昔話に行く                    オフタイム トップに戻る

 

2009/04/28     眼光炯炯
いよいよ今年の選考会が始まった。日本中から選びぬかれた、少数精鋭の選手達の戦いである。今年は我が江の島で開催され、子豚達のサポーターとしては否が応でも興奮せずにはいられなかった。
サポーターを始めて早6年になる。気がつけば急流下りも終わり、子豚も親の存在など忘れる?(ホントか?)段階まで成長したようである。昔はどうやったら気持ちを高めて海に出せるか?などと心配していたが、そんな心配は何処吹く風となった。いまでは勝手に海に出るようにり、しらぬまに成長していることは間違いない。やれやれ…。

 
(ほのかに緊張し、皆いい顔をしています! ブラウザの戻るで戻ってください。)

そんな親豚の感涙は隅に飛ばされ、張り詰めた空気だけが漂っていた。選考会に出場する選手のレベルは月並みでは無い。横一線で一斉にスタートを切って行く。どのスポーツもそうであるが、上位10%の選手のレベルはかなり高い。少子化の影響もありOP人口も減ってきたとは言え、やはり国内最高峰のレースは見ごたえがある。今年のレースも微風から強風まで千変万化であった。そんな神経戦からサバイバルレースまで激烈な環境変化についていくのだから、常人の範疇を超えている。選手もしかりだが、今年は運営側のご苦労も、筆舌に尽くしがたいものがあったに違いない。ここに深く感謝したいと思う。

ヨットに限らずトップレベルのアスリート達の言葉は含蓄がある。極限状態で戦っているのだがら当然と言える。その昔、真剣で勝負していた時代と同じと言えるだろう。剣道のように竹刀と防具で守られているわけではなく、勝たなければ自分が死ぬのである。その切れ方も剃刀のような切れ方ではない。刀の重さを利用し、牛刀の如く力まかせで切りつけるのであった。切るというよりは叩き割るような感じだったかもしれない。そんな場面に自らが遭遇すれば、皆総毛立つこと間違いない。真剣勝負とはそんなものなのではないだろうか…。


(そろそろ戦闘モード… 皆、いい顔をしています! ブラウザの戻るで戻ってください。)

「勝つことに必要なのは、魂の強さです…」と。
そんな勝負師の一人と言える、女子レスリングの吉田沙保里の言葉にも深いものがあった。小松成実のトップアスリートによれば、中京大に進学した吉田沙保里は栄和人監督からそう教わったと述懐していた。技術や戦略だけではない。魂の強さがなければ、本当の勝利は勝ち得ないということなのである。
栄監督はすぐ吉田の生来のポテンシャルを見抜き、すぐさまオリンピックに向け鍛錬を開始した。その吉田がまず言われたのが偏食を治すことだった。バランス良く食事をすることが体力のみならず気力の源となる。もともと素晴らしいポテンシャルの持ち主である。基本に忠実にするだけでも強烈なアフターバーナーとなったのは間違いない。
そんな「弾丸タックル」と呼ばれるスピードは、類まれなる身体能力から生まれている。ロープ登りは腕2本だけでスイスイ上りきることが出来、背筋を測定すればなんと145キロもの力を有するほどであった。無論、その並外れた身体能力は自然に備わったものではない。血の滲むような練習の果てに掴み取ったものであることは衆目の理解である。
いつだったか、BSで特集をしていたのを思い出す。頑張るものを応援するのが趣味のWebmasterは食い入るように見ていた。そのタックルに飛び込む瞬間の「眼光」は他を圧倒していた。画面を通してでも見るものを射抜く力があった。
そう、野生動物が生死をかけて戦い抜くときの目なのかもしれない…。


(今年は蒲郡から巨大望遠鏡が出陣! ブラウザの戻るで戻ってください。)

同じ眼差しを有する選手が我がクラブにもいる。余計なものを削ぎ落とした、その迷いの無い眼差しは、Webmasterの心を捉えて離さない。ハートを撃ちぬいてくれたのは間違いないようだ。その勝つことへのストイックなほどの執念は、他の追随を許さない。美学と呼べるかもしれない。
傍目で見る限り、彼女は他人と戦っているように見える。が、実はあくまで自分と戦っているのではないだろうか。
相手より自分が勝っていることを認識した瞬間、普通は快感を感じ、逆は不快と感じる。つまり、直接相手と自分を比較し、認識するのである。が、彼女の場合、負けた自分が許せなく、勝った自分へ満足を感じているのではないだろうか。つまり、常に自分と戦っていると思われる。そんな彼女に気高さすら感じてしまうのはWebmasterだけだろうか。物凄い集中力を持って戦うとき、最後は自分との戦いとなる。真剣勝負とはそんなものなのではないだろうか。勝つか負けるか…。戦士とはそういうことを意味するに違いない…。

今をさる十数年前、2850gの可愛らしさで彼女は生まれた。両親、兄弟は長身であった。が、彼女は違った。ガラスケースに入れて仕舞っておきたいぐらい可愛らしかったのである。七五三の写真を見ると、おもわずWebmasterも納得せずにはいられないほどであった。
しばらくすると、兄の後ろについて横浜でOPに乗るようになっていた。普段の遊びの延長である。友達と遠足気分でOPに乗っていたに違いない。が、気がつけば遊びから競技に進化し、楽しいから挑戦に変化していったと思われる。成長とともに自分の枠は広がり始め、気がつけばお人形さんはガラスケースを飛び出して自己への挑戦を始めるようになったのだった…。


(ピザーラのピザはおいしい! 皆、いい顔をしています! ブラウザの戻るで戻ってください。)

4年生の春、五月の連休(3匹の初遠征でもあった…)に山中湖の全国少年少女ヨット大会に参戦した。前線の通過する中、風速20mを越える強風が吹き上がった、あの走り梅雨の時である。普段の山中湖では考えられない気象条件であった。が、逆にあの難レースで競争心に火が付いたらしい。次第に頭角を現すようになり、眼光炯炯と獲物を追うが如く、神経を研ぎ澄ますのであった…。

戦い方も他の選手とは違った。マーク前で集団と競り合うのでは無く、ボートスピードとライン取りで競うのである。つまり皆と同じ土俵で競り合うのではなく、少し離れて孤高の戦いを挑むのであった。
が、そんな孤高の戦士には弱点もあった。ダイヤモンドなみの魂の強さがある反面、一瞬で壊れるような脆さも同居しているのである。強さと脆さは紙一重である。いつ心が折れても不思議は無い。周りの親豚達はハラハラしながら見守っているのであった。そんな彼女は
気丈に振舞うもののすべて裏目に出てしまい、なかなか結果が出せないで苦しんでいたのを思い出す。やはり勝つためには強さだけではなく、しなやかさも身に着けなければならないのであった…。

そんな彼女、実はものすごく優しい一面を持っているのであった。普段は気丈に振舞っているので周りでは解らないかもしれない。が、小さい子が本当に困っていたり、仲間の危機に際しては我を忘れて助けに行く優しさがあるのは本当である。天邪鬼なところがあるせいか、損しているのは間違いないと感じる。
そう、もっと自分に素直になれば良いのではないだろうか。もともと優しさも強さを持っている彼女である。もっと自分を表現することが出来れば、自然にしなやかななれるはずなのだが…。
早く気がついてほしい…、Webmasterはずっと気になっているのであった。

そんな親豚の思いが通じたのか、最近随分と変わってきた。昔はイガグリの如く尖がっていたが、今では微かな笑みを感じることができるようになってきた。加えてWebmasterが声をかけた時も、ユーモアを交えて返答してくれるほどになった。
余裕すら感じるということなのだろうか。つまるところ、少々のことでは折れない強靭さを身に着けたと言うことだろう。強さと脆さは相反する。そこに柳の如く強靭なしなやかさを獲得すれば無敵である。お陰で無事ナショナルチームのキップを手に入れることができた。近々、「JAPAN」のライジャケを諸外国の選手の目に焼き付けて帰って来るに違いない…。


(ナショナルチームの面々… 皆、いい顔をしています! ブラウザの戻るで戻ってください。)

Webmasterは宮崎アニメの大ファンでもある。その中に素晴らしい人気を誇った「もののけ姫」という映画があった。それに出てくるサンという主人公のしぐさ、表情が忘れられない。特に冒頭の獲物の血を口から吐き出す時の眼差し、表情は見るものを釘付けにした。
サンは、モロと言う名の山犬の神が人間の娘を自身の跡継ぎに教育した姫であった。辺境の地にタタラ製鉄工場を建設した武装宗教団体と戦い、もののけ達の住処を守るために身を捧げていたのであった。その類を見ない野生の生い立ちが、よりその純粋さを高めていたのかもしれない。
いらぬものを削ぎ落とし、邪心の無い境地に到達することは大変むづかしい。Webmasterはバックパッカーの端くれであったが、辺境の地の野生動物の視線は鋭く、見るものの心を射抜く力があった。動物写真家が、その撮影をやめられないのもこの「視線」があるからに他ならないのではないだろうか。
が、そんな激しい性格のサンも、アシタカという青年と交流を深める中で、次第に大人になり、深みと優しさを増していったのであった…。

Webmasterからしてみると、3人とも同じ空気を感じてしまうのは否めない。成長するにつれ色々な人々と触れ合い、時に争そい傷つけあい、次第に自分以外との係わりを理解できるようになった。そして、優しさ、強さ、愛情といったものを学び、そのバランスを理解してゆく事ができたのではないだろうか。眼光炯炯、我が子豚達も、単に目力が鋭いだけの若武者から物事の真実を見抜く力を持つ侍へ成長することとなるに違いない。

そんな子豚達の成長は実に眩しい。綾小路きみまろのCDを聞いて思いっきり笑う親豚連と比較してしまうのであった。ま、人生そんなものである。素直に盆栽を愛でる楽しみを堪能し、追い越される歓びを味わうこととしよう。

少々疲れ気味の、追い越され中の親豚達に乾杯!

 

オフタイム 昔話に行く                    オフタイム トップに戻る

 

2009/01/08     諸行無常
昨年の上半期はそこそこの業績であったが、あにはからんや、暮れ近くから強烈な不景気が始まったのであった。10月の終わり頃からその兆候はあったものの、これほどまで急激に変化するとは誰も思わなかったに違いない。あっという間に世界中が不景気の荒波にもまれ、盤石と思われた大企業でも空前の倒産騒ぎとなったほどである。Webmasterも子豚物語の執筆をと思いきや、本業に時間を取られ、こっちに費やすゆとりが無かったのは言うまでもない。(ホントである。)
が、考えてみれば知らぬ間に3匹+α達は大きく成長したようで、以前のように急流を流れ落ちるような血湧き肉踊る感激が少なくなったのは事実である。マッタリとした下流域では子豚物語を書く楽しみも少々薄くなってしまうのは否めない。
子豚自身が自力で成長していく姿を、ゆっくり眺めるだけなのもオツなのかもしれない…。



(強風とチョッピーな波に気合が入ってます! ブラウザの戻るで戻ってください。)

お屠蘇気分もそこそこ、翌日からの江の島通勤を控え、束の間の休日を過ごすことと相成った。そんな中、テレビでは箱根駅伝の中継が始まり、我が家もテレビにかじりつくこととした。例年通り、手に汗握るレース展開となり、20人抜きや五区のごぼう抜きなど目が覚めるようなレース展開が繰り広げられた。やはり箱根駅伝である。これほどの緊張と興奮の連続は他では味わえないのであった。
そんな中、閑話休題として駅伝今昔物語と銘打った小コーナーが設けられていた。往年の選手や出来事をインタビューを交えて紹介するコーナーなのであったが…。

 

(皆、いい顔をしています! ブラウザの戻るで戻ってください。)

幾つかある中の一つで、実に心に残る話が紹介された。名門青山学院大学のお話である。実は今を去る33年前、大手町のフィニッシュ手前150mで最終ランナーの足が止まってしまったのであった。気持ちは焦れど、残念ながらタスキを渡せなかったのである。体力の保持が重要な駅伝では、気温の上昇や向かい風など気象条件によっては不測の事態に遭うことがある。解ってはいたものの、その日の急激な気温低下に体がついて行かないのであった。少しでも前へ行きたいとの思いが無理を誘ったのか、あともう少しと言うところで倒れてしまたのであった。走っては倒れ、走っては倒れ…。最後には全身が痙攣し、意識朦朧となってしまった…。
気持ちだけはフィニッシュへ逸るものの、どうにも手足は言うことを聞いてくれない。とうとう完全に意識を失い、彼は無念にもフィニッシュすることは出来なかったのであった…。



(皆、いい顔をしています! ブラウザの戻るで戻ってください。)

突然の気象変化によるもので、彼に落ち度は無かったのであった。が、その年まで11年間も連続出場を果たしており、その重責重圧は選手にとって大変大きなものであったに違いない。自分も含め、関係する全ての人の期待を背に走っているのだから当然である。
相当無念であったのだろう。以後、彼は大手町へ足を踏み入れることができなかったそうである。トラウマと言うべきなのだろうか…。

しかし、そんな無念を晴らしてくれるように、後輩達により33年ぶりの出場を勝ち取ったのであった。結果は上位ではなかったものの、無事完走を果たすことが出来た。おかげで33年間かかったが、タスキは無事に後輩の手に渡ったのは間違いない。
おかげで大手町のゴールを自身で歩き、一歩一歩、心のそこからタスキが渡った実感を噛み締めたのは言うまでもない。



(表情豊かな顔がたまりません! ブラウザの戻るで戻ってください。)

華やかなレース、怒涛のような勢いのレースの影には、図らずも心を揺さぶるようなドラマが潜んでいるものである。我がヨットレース界においても、同様である。
おかげさまで11月初旬の蒲郡の全日本も終わり、やっと子豚全員が選考会の出場権獲得経験者となることが出来た。きっとこの数年、彼らは選考会出場権を獲得したり逃がしたりと、うれし涙、悔し涙の双方を流すことになるだろう。そんなことを繰り返しながら少しづつ自身をステップアップし、嬉しさと悔しさをバネに素晴らしい人生経験を培っていくと思われる。

3月末の海外派遣選考会で選ばれた選手達は、日本の代表として世界の競合を相手に果敢に挑戦する。昨年の世界選手権には我がクラブのヒロインが出場し、女子世界1位を獲得した。きっとその精神的な重圧も、駅伝同様すごいものだったに違いない。伝え聞くところによれば、いかに平常心を保つかが一番肝要であったとのこと。あらゆる重圧を撥ね退け、打ち勝ったからこそ世界一になれたのだろう。
やはり頂点を極める選手は、技術的にも精神的にもかなり高度なレベルを求められるのは間違いない。我が子豚連も、こんな高度なレベルの経験をさせたいと思う今日この頃なのである…。



(皆、いい顔をしています! ブラウザの戻るで戻ってください。)

親豚は、スポンサーの立場として、より高く、より速く、高度な領域に上っていってもらいたいと望むのが道理である。が、親本来の立場として実はそこまでは望んでおらず、自立し一歩づつ自分の足で着実に進むことができるようになれば充分と感じている。そう考えれば、OPを始めた目的は充分達したと言えるのではないだろうか。おかげさまで、最近は3匹+α達も泣くことが無くなり(当たり前か)、淡々と自分と向き合ってレースを楽しんでいる様に見える。ゆえに親としては満足できる領域に達したと思うのだが…。
我が子豚に聞いてみると、最近ヨットが実にわくわくして面白くなってきたとのこと。以前は言われるがままヨットに乗っていたのだが、次第に自分で考え実行し、反省、改善することができるようになったと見える。ゆえに面白くなってきたのではないだろうか。一般社会的に言えばPDCAサイクル(Plan(計画)、Do(実施)、Check(確認)、Action(改善)のイニシャル)が回せるようになったということだろう。


(最後は恒例の海ドボン! 皆、いい顔をしています! ブラウザの戻るで戻ってください。)

ふと考えてみると、次第に子豚達の実力は親に肉迫し、凌駕さえされそうな気がするのである。もちろんまだまだ開きはあるものの、時に親豚を超えるときがあるように感じるのはWebmasterだけだろうか。
実は正月に日帰りで子豚仲間とスキーに出かけたのであるが、あにはからんや、とても子豚連と同じに滑る体力は持ち合わせていなかった。すでに体力的には負けていると認識せざるを得ず、気合だけ勝っていたようであった。
どうも本能は親であることを忘れ、勝手にライバル出現!と反応するようである。が、いかんせん体力がついていかない。Webmasterが中学生の時であったが、自身の父親とふざけて相撲をとっている時、はからずも上手投げが気持ちよく決まってしまった。息子はしてやったり!と喜んでいたが、気がつくと親父は胸を押さえてうずくまっていたのであった。どうやら肋骨にヒビが入ったらしい。その後親父が直接遊んでくれることは無かったのであった。
が、きっと成長を実感しつつ、目を細めて眺めてくれたに違いない…。



(全日本明けの芋ほりBBQです! 皆、いい顔をしています! ブラウザの戻るで戻ってください。)

知らぬ間に時間は流れ、こんどはWebmasterの番となったようである。知ってのとおり、Webmasterもかつてはホッパー乗りであった。ゆえに多少は腕に覚えがあるはずである。が、我が子豚のマニューバリングを見るにつけ、すでにWebmasterを超えたことは間違いない。いまだ理科や数学では負けることは無いのだが、暫くのうちにはきっと負けることだろう。それが、「おぐりめぐり」なのである。
今勉強していることを糧として成長し、学んだことを自身の子供に教えてゆくこととなるだろう。その時、Webmasterが存在した価値が出てくると確信している。嬉しい限りである
Webmasterの親父もきっと天国で笑っているに違いない…。


(進水式! 内心は嬉しいようである…。  ブラウザの戻るで戻ってください。)

人生のターニングポイントを越え、自らの記憶を走馬灯のように思い返して見るのであった。不思議と一度たりとも停滞していたことは無かったように感じる。子供の時分であっても、常に悠久の時の流れの上にあり、同じものを見ても常に新鮮に感じていたのを思い出す。そんなことを考えていると、思わず平家物語の書き出しが脳裏に浮かぶのであった。「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…」と。
物の本によれば、諸行無常とは何々したはず!、とか何々が当たり前!、というような「不変」であることは無く、物事は常に移ろい行くものであると諭している。現実にあがらう事無く全てを定めとして受け入れ、日々、粛々淡々と努力せよ…と言うこととなのではないだろうか。
親として、愛でる楽しみの本領が理解できるようになった気がするのである…。言い換えれば年をとったと言うことなのだろうか。

おかげさまで、我が子豚は宣言どおり選考会出場権を獲得することが出来た。首の皮一枚で権利を獲得したので、そうそう胸を張ることは出来ない。が、とりあえず言行一致で権利獲得となり、彼は新艇を手に入れることができたのであった。
親としては、この不景気で悩ましいところである。が、一旦交わしていた約束である。大蔵省に緊急予算を申請し、無理やり(職権乱用か?)受理していただくこととなった。進水式の日、よっぽど嬉しいらしく、愛おしそうにスポンジで磨いていたのが印象的である。いつまで続くか解らぬが、気がつくとそれを見て目を細めている時分に気がつくのであった…。

さて、これから冬真っ盛りのレースシーズンである。親が子共に追い越されることを楽しめるよう、日々心身の鍛錬を積んでいきたいと思う。本能ではライバルとおぼしきものとして受け取りがちだが、本当は違うはずである。亡くなった親父が呟いていたが、これが本当に愛でる楽しみなのだろう。盆栽と同じということなのだろうか…。やはり現実を受け入れるため、心身の鍛錬?は必要である…。

子豚には追い抜く楽しみを与えなければならない…。そこで、今晩は昆布茶で乾杯といこう。大阪の浪速昆布茶本舗の梅こぶ茶である。実に美味である。是非、皆様にもご賞味いただきたい。

全力を振り絞っている、追い越し中の子豚達に乾杯!!

 

オフタイム 昔話に行く                    オフタイム トップに戻る

 

2008/11/03     赤烏帽子
なんと前回のアップから、もう2ヶ月がたとうとしている…。小澤杯も終わり、忙しさにかまけていたとは言え、反省しきりである。上期の残務整理も一息つき、ようやく修理班と執筆に専念できる体制が整えられることとなった。


(子供たちに限らず運営艇も気合が入ってます! ブラウザの戻るで戻ってください。)

そんな秋口を感じる今日この頃、Webmaster達ツナギーズはシンボルのツナギを新調することにした。前回のツナギはロゴを背負ってなかったので、今回は目立つようにロゴを黄色くし、ついてに大きなゴシック体にすることにした。あわせて整備班以外の有志も募り、ツナギーズ一大増殖計画を謀ったのは言うまでもない。
近所の作業服屋で、格闘家の角田氏慣習のツナギを見つけてきた。角田のデザインといえば皆欲しくなること請け合いである。納得の一品であった。使いやすいデザインであるのが主たる理由であるのだが、ここの店長のおしゃべりは最高であった。見た目も毒舌ぶりも鶴光そのものなのである。こんなおもしろいおしゃべりが品定めの大切な要素となったことは否めない。
そんなこんなで無事サンプルのツナギが購入できたのであった。

で、クラブで募集してみると、驚くなかれ31着もの注文が集まった。せいぜい数着集まれば充分と思っていたが、これほど大人気になるとは思っても見なかった。ツナギーズ大増殖の始まりである。かの鶴光店長氏も大量発注に喜んでいただき、名入手ぬぐいを人数分いただくほどであった。大増殖に気を良くしたWebmasterたち整備班は、増殖記念と銘打ち中央林間で一杯となった。

場所は中央林間の焼き鳥屋「アンボ商店」に決めた。この店、Webmasterが実はだいぶ前から気になっていた店であった。が、いつ行っても混んでおり残念ながら偵察不可となっていた。入り損ねたお客は店の外まではみ出しており、ベンチに座って焼き鳥を頬張っている程である。加えて入り口の格子戸は全部取り払われ、完璧な日本風のオープンカフェスタイルを醸し出しているのであった。雪でも降らない限り戸は閉められないであろう。お陰で芳しい煙が道路に漂い、道行く人の足を止めるのであった。
そんな様子を眺めていると、Webmasterは自らの選択に自信を深めるのだった。味見せずとも二週間後の予約をお願いしたのは言うまでもない。


(海の上では真剣です! ブラウザの戻るで戻ってください。)

しばらくしてツナギーズ増殖記念パーティーは開催された。こじんまりとしたお店であるため、奥のテーブル席では8人が限界である。そこで大増殖というものの、定員内での募集とし、大宴会は年末に繰り越されたのである。
さて、待ちに待ったアンボ商店である。Webmasterをはじめ全員ヨダレをたらしながら焼き上がりを待ったのは言うまでもない。とり皮(串ではなく、一枚一枚丁寧に焼いてくれる)、レバー、せせり、つくね等、なにをとっても旨かった。きけば焼加減が一番大事とのこと。じっくりと粘りのある油がにじみ出るまで我慢を続け、ころあいを見計らって強火で焼き上げる。それが旨みを引き出す一番のテクニックとのこと。特につくねは旨かった。好みはいろいろあるだろうが、刻まれた軟骨が独特の歯ごたえを醸し出し、旨みがたっぷり引き出されている。自慢のタレと生卵が絡めて頬張ると、ねっとりとした旨みが口中に広がりのであった。至極の瞬間とはこのことだろう。そんな大将のお手前をカウンターから拝見し、舌鼓を打った。やはり混んでいるお店は旨いのだとしっかり納得できたのであった。おかげさまで梅酒ホッピーも堪能することができ、楽しいひと時を過ごすことができたのであった。
そんな楽しい時間も束の間、終電間近となり、おあいそをお願いすることとなった。支払いを済ませると、店の奥から女将の思わぬ一言が飛び出した。なんと旧性がWebmasterと同じとのこと。これには正直びっくりした。あちらもビックリしたらしいが、そうめったに遇える苗字ではない。びっくりして互いに出身を聞くほどであった。どちらも親戚以外では人生で二人目とのこと。おかげさまで急速に親近感が高まり、Webmasterはアンボ商店が大のお気に入りとなったのは言うまでもない。
予約時に名前を告げていたのだが、その時かたWebmasterと話したかったようである。そんなに待たれるお客であったとは…。実に嬉しい限りである。


(隙間から覗く目がポイント! みんないい顔をしています! ブラウザの戻るで戻ってください。)

そのまた1週間後、先日のお礼を兼ね旧友を連れて再び訪問した。小雨が降りしきる中、天気が幸いしたのか若干の空席が我々の到着を待っていた。
前回来た時も気になっていたのだが、壁に「なお吉」と染め抜いたTシャツが吊るしてあった。店の名前と違うので若い衆に聞いたところ、実は大将が修行したお店とのことであった。修行したお店のTシャツを壁にかけているとは殊勝な心がけである。伝統と文化が大好きなWebmasterは大いに感心した。小雨が止まぬ中、いつの間にか板場にもゆったりとした時間が流れ、じっくりと修行時代のお話を聞く機会に恵まれたのだった。

彼は社会人になると、まず焼肉店に勤務したのであった。年は若いものの真剣である。すぐ仕事を覚え、一人前に仕事をこなすようになった。次第に頭角を現し、実力充分となった。しかし、ともすれば若さは自信過剰につながり、時に回りに疎まれることさえあったようである。が、少々無理を言われても、真剣な人間には従うものである。皆から慕わられ、彼は充実した毎日を謳歌していた。
が、良いことばかりではない。思ったことが当り続けるときは良いのだが、外れだすとそうは行かない。スランプから抜け出すのはかなり困難である。いつのまにか彼は天狗になっていて、自分が悪いと分かっていても認めたくない自分になってしまった。すると次第に自暴自棄のスパイラルに陥いり、長年務めていた焼肉店を退職しようと決意したのであった。紆余曲折で学んだことも多く、お世話になった店に感謝しても仕切れないほどの思いもあったが、環境を変えることが成長に繋がる!と社長の後押しも戴き、新しい世界に打って出ることになった。

が、社会はそう甘くない。一旦は新規一転と思ったものの、自分に向いている仕事が何か見つけられずもがき苦しんでいた。そんな中、幸運にも「直吉」の社長に巡り合うことができた。彼は社長に出会い、一目見て人間の深さを感じとったのであった。そんな社長の心根に触れ、堰を切ったように自身の内面を口にしはじめたのであった。といっても男っ気の強いかれである。むろん、泣き言を口にすることは無かったのであった…。
仕事に対する思いを伝え、晴れて焼き鳥屋「直吉」の一員となった。が、一生懸命ではあればあるほど、以前にも増して空回りもし衝突もする。理解してもらえず感情が先にたち、社長に食ってかかるときもあったらしい。
若い時は皆覚えがあるとWebmasterは思うのであった…。


(レース委員長、こちらも凛として良い顔をしています! ブラウザの戻るで戻ってください。)

もともと完璧主義の彼である。無理と承知してはいるものの、気になったことは口にせずにはいられない。衝突したのは一度や二度ではない。普通であればとっくに首にされてるところであろう。
が、社長は彼の本質を見抜いていたようだった…。

繰り返し繰り返し、何度でも食ってかかった。なんども衝突し諭されていくうち、たとえ理論は正当で間違いなくとも、受け取る相手によって必ずしも正解にならない場合があることに気が付いた。そのとたん、自分はたくさんの人を傷つけてきたことに気が付いた。もともと男らしい優しさが一杯の彼である。心底懺悔し、それまでの自分を悔いたのであった。
それに気が付いて、彼は一段と大きく成長した。素直な気持ちで他人に感謝することができるようになったのである。感謝の心…。なかなか理解できる様で出来ないものである。そして優しさと強さを兼ね備えることが出来た彼は、社長にも認められ、仲間達に支えられ、晴れて独立することが出来たのであった。

そんな彼を育ててくれた社長に恩義を感じないはずがない。男っ気の強い彼である、自分を戒め、初心を忘れないために、大恩人の店の名を壁にかけているのであった。その気持ちに心打たれ、Webmasterは大感激で話を聞いたのであった…。


(大将と女将さん…良い顔をしています。レストラン「カイ」の看板娘も元気です! ブラウザの戻るで戻ってください。)

それからの彼の成長は目覚しいものがあった。自分にも厳しいが従業員にも真摯な姿勢を求めた。大変ではあったものの、相互扶助の精神で新規開店の苦境を切り開いて来ることができた。
そんな強烈な修行時代と独立開業を支えてくれたのが、かの女将である。大将が真顔で「なんで俺についてきたんだ?」と質問すると、「さぁ、なんででしょうね?」と上手に笑って応えていた。そのやり取りを見るに付け、絶妙な夫唱婦随であると確信したのであった。
それをみてWebmasterは両手でポン!となった。夫の好きな赤烏帽子…。そんな感じの小柄なかわいい女将なのであった。大将とのやり取りを見るに付け、実は女将の方が一枚上手と理解した。きっと手綱さばきは見事に違いない。
大昔から賢いカミサンは宝物!と、いわれている。Webmasterはこのお店の大繁盛を確信したのは言うまでもない…。

しかし、感謝の気持ちは肝要である。それがキッカケで大きく成長できたのであった。その「直吉」の社長さんにWebmasterも是非お会いしたいものである。そんな人柄であるため、沢山のお客様に支持され、大和、藤沢、海老名と手広く商売が広がるまでになった。一本気な社長に育てられたご夫婦である。おいしいというお客の顔が最大の歓びであるのは間違いない。お客様のため、従業員のため、そして自分達のために店を切り盛りしていきたいと抱負を語っていた。

しかし、人間のつながりは不思議なものである。最初は珍しい名前で少し知り合いになっただけであった。が、吸い込まれるように大将と女将の話を聞いてしまい、知らぬ間にこちらも熱い気持ちにさせられたのは言うまでもない。
情熱、恩義、礼儀、仁義…。人のつながりには大事なことである。昨今の殺伐とした社会環境の中、久しぶりに熱い気持ちをいただいた。大感謝である。

さて、これから秋のレースシーズンである。熱い気持ちを胸に、子豚の挑戦をサポートして行きたい。人に感謝することは成長の原動力となる。子豚達も真摯な気持ちになり、全ての人に感謝し、素直な気持ちでレースに挑戦していってもらいたいものである。

今晩は大のお気に入りである「常きげん」の山廃純米吟醸をお取り寄せで手に入れた。蔵元からいただいた利き酒用ぐいのみでいただくつもりである。

力いっぱい挑戦している子豚達に乾杯!

 

オフタイム 昔話に行く                    オフタイム トップに戻る


2008/09/03     眉目秀麗
さて、今年も東日本選手権が逗子のリビエラヨットハーバーで開催された。真っ黒に日焼けした海豚達の夏の集大成である。が、どうも今年は風の神様がお休みらしい。多少の振れはあるものの、頭を抱える程ではないようであった。そのお陰か、海豚達は順当な成績を残したのだった。

そんな中、和歌山の合宿に引き続き、補足インタビューが敢行された。お陰さまで、念願叶い、その素晴らしいドラマをオフタイム流に紹介させていただくことができた。うれしい限りである。ボーイッシュな母と、男の子顔負けの美人スキッパーである。眉目秀麗と呼ばしていただこう。容姿端麗が本当なのだろうが…。

さて、「和風美人スキッパー誕生」のはじまり、はじまり…。


(出艇前… 少々鼻血が出てしまったが、皆いい顔をしています! ブラウザの戻るで戻ってください。)

それは悠久の地、中華人民共和国から始まった。生粋の日本人である彼女は、学校を卒業すると同時に中国に留学することを希望したのであった。むろん中国語の勉強をしていたのだから当然と言えるだろう。が、普通であれば、花のOLを謳歌し、将来有望な旦那様候補を見つけ出すことに血道をあげるのが当然である。

ところが、進歩的な彼女は違った。案にたがわず、卒業とすると中国へ旅立っていってしまったのである。JJから抜け出してきたような、人目を引く長身の美人である。そんな選択をするとはとは、露ほども思わなかった。おまけに、留学先に落ち着いたのもつかの間、薄汚れたザック片手にバックパッカーに変身してしまったのであった。
気がついたら国内へ探検旅行に飛び出した後だった。内モンゴル、西安、蘇州、天津、アモイ、広州、香港と息吐く暇も無く、ザック一つで中国中を旅し、見聞を広めて歩いたのだった。
普通バックパッカーといえば常にホコリまみれで風呂にも入れない、そんな汚いイメージで一杯である。時に臭いすら漂うほどで、道端で寝起きする人々と比べても遜色ないレベルであった。Webmasterもバックパッカーの端くれだったが、正直、薄汚れた貧乏熊と言う感じであった。

そんなところに一輪の花…。きっと現地の人々も、掃き溜めに鶴…と思ったに違いない。


(表彰式も皆いい顔をしています…! ブラウザの戻るで戻ってください。)

当時の中国はまだまだ未開の地が多く、内地の人間向けの宿屋は非常に安価であった。当時の日本円に換算しても、1泊20円未満であった。無論食事は別であったが、それでも破格の値段である。トイレも壁があれば良い方で、時に落ちてくるご馳走を足元で豚が待っているような状態さえあった。ご飯など日本流に炊いた白米に巡り合うことなど皆無である。外米をボイラーのスチームで蒸しているため、ボソボソでとてもシャモジではよそえない。しょうがないから茶碗ですくい上げ、シャモジで切る羽目になっていた。消化不良になるのは当然である。加えて南京虫も当たり前、そんな強烈な環境に接し、日々鍛錬を積んでいくのであった。
次第にその成果が実を結び、地元民との違和感がなくなってくるのを実感する。気がつけば消化不良すら起こさなくなり、虫に対しても抵抗力が付いて来るのであった。バックパッカーの環境適応能力は、尊敬に値すると言えるだろう…。
それからが面白いのであった。混沌としたカオスの中に飛び込み、一般の人々(沿岸部ではない。内陸部の少数民族である。)の生活を肌で感じ、地球の広さを感じるのであった。一番面白いところは市場とのこと。Webmasterも同じような感性を有しており、片手でポン!となった。そんな人間の起源を探るような旅をする彼女である。これと思ったら最後、初志貫徹しなければ気が済まない性格なのは言うまでも無い。

そんな才色兼備?な彼女である。休暇の間はバックパッカーに変貌するものの、学校が始まるとしっかり学生に戻るのであった。おまけに中国語を勉強する傍ら、アルバイトにも余念が無い。そんな彼女である。自身のキャリアを生かし、日本でも指折りの商社へ売り込みをかけ、晴れて北京支店で勤務することと相成った。そして秘書としてキャリアを積んだ彼女は、晴れて卒業を迎え日本へ帰国することと相成った。
が、支店長がそんな実績と信頼がある彼女を手放すわけが無い。本社へ移動!と、鶴の一声でそのキャリアを社内に留めたのであった。

日本へ帰国し、平穏無事な生活を送っていた。が、やはり普通のOLだけでは満足できないのであった。なれない本社勤めをする傍ら、発展家の彼女は次の目標を探し、舵を切ったのであった。上司に相談し、流行のゴルフを選択したのである。やはり結婚前の女の子は、流行に敏感のようであったらしい。
勤め先が商社であれば、ゴルフの達人は多い。上司に相談し、指南役を紹介してもらった。その指南役が今のご主人とのこと。短期集中であったが、素人の彼女をコースが回れるほどの腕前に育て上げた。もともとゴルフ部出身の彼であるが、いくら指導上手でもそう簡単ではない。どんな指導を行ったのか、詳しく伺いたいものである。(ホントか?)
そんな彼であったが、やはり一旦目標を定めたら結果を出すまでは引き下がらない性格であったのは事実である。「一点集中」と言うことだろうか…。


(今年はチキンカツライスを完食。 この方、相変わらず凄い…! ブラウザの戻るで戻ってください。)

彼は皆から一目置かれるバリバリの商社マンであった。諸外国を飛び回り、外国人相手に血気盛んに日本製品を売り込んでいた。が、以外にもその顔立ちは和風の色合いが濃いのであった。マゲを結ってヒゲを生やしたら、本当に月影兵庫か花山大吉と間違えるかもしれない。まじめに猫が嫌いで、オカラが好きかもしれないのである。(ホントか?)
そんな体育会系の彼であったが、ちゃんとソフトな一面も備えていた。もともと人付き合いの良い彼である。ちゃんとツボを心得えていたようだ。習い始めて上手くなれば、師匠に感謝するのは当然である。そんな上り調子の彼女を帝国ホテルに誘い、フランス料理のフルコースとしゃれ込んだのであった。有能な商社マンである。売り込みにかけてはプロフェッショナルであったのは間違いない。ちゃんと彼女の心の機微を察知し、率直な自分を売り込むことに成功したのであった。
他方、彼女とてバイタリティのある強者である。バックパッカーで諸国漫遊した経験者であった。衝動で安い買い物はしない。吟味に吟味を重ね、ようやく運命の人と決めたのであった…。彼女28歳、彼27歳。人の運命は不思議である。良く喧嘩もするようだが、これほどジグソーパズルがキッチリはまった夫婦は少ないのではないだろうか。もともと切っても切れない、そんな赤い糸で結ばれていたのかもしれない…。

しばらくしてかわいい女の子と男の子が生まれた。親となった彼と彼女は、大好きなゴルフを暫くお休みすることとした。結果、家族サービスに邁進し、充実感で胸一杯となる。家の近所から始まり、虫取り、磯遊びと、アウトドアに挑戦し続ける毎日となった。
が、一点集中の精神を受け継いだ娘である。遊んでるその時は楽しいものの、次第になんか物足りなさを感じるようになってきてしまった。釣りも面白いし、虫取りも楽しい。でも、なんか面白くない…。顔が晴れ晴れとしないのであった。

そんな娘の気持ちを察した彼は、いつも遊びに来ている江の島でヨットを指差し、こう言った。「あっちの方がおもしれーぞ!」と…。

それからの江の島通勤は想像に難くない。最初はセーリングで入部し、楽しんでクラブ内レースに挑戦していた。暫くするとBクラスで優勝するようになってしまい満足できなくなってきた。やはりとことん詰めないと気が済まないらしい。
そんな娘はレーシングに移籍し、OP界の頂点を目指して練習を始めたのであった。こちらはBレースほど簡単では無い。夏休みになると毎日江の島通勤を重ね、付き添いの両親をクタクタにしていた。でも、そんな真っ黒に日焼けした娘を見て目を細めていたのはホントである。親として眩しさを感じてきたのは間違いない。一心不乱な我が子を眺めるのは、親冥利に尽きる…と思われた。

やはり、どの御家庭もドラマがある。ジュニアスポーツは親子の合作となるが、そこには家々の文化と伝統が流れ、「血」を感じずにはいられない。血族ということなのであろうか…。和風で凛とした父の目元と、目を引く美形の母の顔立ちが組み合わさり、綾瀬はるか似の和風美人スキッパーが誕生したのであった。充分、「眉目秀麗」と言えるだろう…。我がクラブの新しい力として、クラブを引っ張って行ってもらいたいものである…。 

おしまい、おしまい。

  
(ゆうき食堂、いつもどおりコメントしがたい盛りであった…! ブラウザの戻るで戻ってください。)

昨今の新聞、ニュースを聞く限り、世の中は少々殺伐としてきた気がする。子宝に恵まれても育てることができず、教育と言う千歳一隅の楽しみを残念ながらモノにできない人も多い。(時に苦しみかもしれないが…ホントである?) そんな中、我々サポーターとしては、子供たちの成長を楽しみとしており、生きがいとも言えるかもしれない。幸せな話である…。

さぁ、今日も夜が更けてきた。明日に備え、寝ることとしよう。休肝日といきたいところだが、たくさんのポリフェノールとアルカリ食品と言うことで、赤ワインは体に良いようである。(ホントか?) 
そんな苦しい言い訳をしながら先日いただいたフルボディを一本開けることとしよう。日本酒と違って銘柄は良くわからないが、フランス産の唸る一本とのこと。実にたのしみである。

さて、子豚達の成長を祝し、乾杯!

 

オフタイム 昔話に行く                    オフタイム トップに戻る


2008/08/10     信念
さて、夏の盛りである。今年も強烈な暑さの中、全日本オープンが和歌山で開催された。次いで翌週にはJJYUの国際交流・日本ジュニアヨットクラブ競技会も模様された。子豚達の調教にとって絶好のチャンスである。都合9日間にわたり、遠征幹事を旗印に徒党を組んでの和歌山詣でとなったのであった。

しかし、暑い。(熱いの方が合っている…!) いくらポカリスエットを飲んでもキリがない。日が出ないうちから熱線を感じはじめ、10時ごろには溶けてしまいそうになるのであった。気が付くとTシャツは滴るほどに汗を含み、まるで海に落ちた後のようであった。こんな気候の中、子豚達は集中力を維持している(と、思っている?)のだから、賞賛の声が上がっても不思議ではない。
一方親豚の方は崇高な?信念をもって出撃したはずであったが、日が昇る頃には完璧に溶けてしまい、どっかに行ってしまった気がするのであった。


(自宅のリビングが勉強部屋に… ちゃんとお説教もされてます? ブラウザの戻るで戻ってください。)

話は変わるが、今回の宿舎は素晴らしいの一言に尽きるのであった。我等が専属カメラマンの知り合いのまた知り合い?らしいのだが、なんとカフェレストランが宿泊先となった。なんと自宅を開放していただき、我等が遠征先の宿として提供して下さったのである。感謝の気持ちで一杯になったのは言うまでもない。
自宅に泊まっているかのような安心感はもとより、その食事の素晴らしさは特筆に価する。食事しか楽しみのない子豚達にとって、毎日の食事が待ち遠しいということは大変重要である。
考えてみれば、 生業がレストランカフェ“デサフィナード”グルナビはこちら)なので納得なのであった。おかげで、朝からリッチな食事となり、生クリーム入りのスクランブルエッグ、自家製のケチャップと、ニューヨーク仕込みのシェフの繰り出す品々は、子供だけでなく親をもうならせた。夜は夜で、ニューヨークスタイルのカレーやバーベキューが振舞わられ、本末転倒ではあるが、毎日の食事を目標にヨットをやっている子豚がいるはずでは?と思うほどであった。
普段の合宿では、こんなNYスタイルの朝食を…と言うわけには行かず、3日もすると飽きてくる。が、今回の合宿では、全ての食事において完璧であった。その証拠に食べ残しが皆無で、むしろ取り合いをしていたほどである。おかげさまで食後の満足感か、無言になるタイミングがあったほどであった。
考えてみれば子供たちの方がよっぽど味にうるさいと言える。そんなうるさ方を黙らせたのだから、ブラボー!としかいえないのではないだろうか。


(これがランチ!@1,000… デザートは食に走り撮り忘れてしまった… ブラウザの戻るで戻ってください。)

最終日に部屋の掃除の際、タイミングよくランチをいただくことが出来た。その価格はなんと1000円。(物価高騰の折、8月10日からは少々値上がるとのこと) 軽い気持ちで「ランチ!」とお願いしたが、その内容には恐縮せずにはいられなかった。まず、サラダ代わりに野菜のコンソメゼリー寄せ生ハム添えから始まり、冷製ポタージュスープ、特製デミグラソースのオムライス、リキュールの効いたデザートとコーヒーと言う陣容である。オーナー曰く「うちのランチは最強!」といっていたが、充分納得するのであった。そんな大盤振る舞いのオーナー、かなりな一本気であった。詳細はホームページに譲るが、ゆるぎない信念の持ち主であることが良く理解できる。
隣人愛に満ち溢れたオーナーの真心にふれることが出来、我々は深く感謝したのであった…。


(朝の風景… 滅茶苦茶の寝相と見受けられた… ブラウザの戻るで戻ってください。)

こちらのオーナー、実は航空自衛隊の音楽隊出身とのこと。なるほど、音楽に造詣が深いわけである。こられたお客様が少しでも多く、くつろげ楽しめる時間を提供したいと始めたお店とのこと。
何でも故郷の和歌山から離れたい一心で大学を卒業後自衛隊に入隊、経験を買われ音楽隊に入隊されたらしい。その後、自衛隊はもとより我が日本を代表して世界各国を歴訪し、演奏活動を行う機会に恵まれた。そんな海外派遣の中、とある街中で素晴らしいバーに巡り合ってしまうのであった。そこは老若男女を問わず、幅広い年代の人々が楽しそうに語らい、食事を共にする和やかな時間が流れていたとのこと。その雰囲気に魅せられたオーナーは、我が日本においても世代を超えて楽しめる場所を提供したい!という想いから「デサフィナード」を開店させたそうである。スタッフはもとよりお客様、演奏家、そして我らが子豚までもを、その信念は包み込んでいった。

まるで池に石を投げたときの波紋のように…。

そこでWebmasterは片手でポンとなった。子供たちの成長を眺めることも、お客様や演奏家に素晴らしい空間を提供することも、オーナーにとっては、同じ心地よさを感じているに違いない。Webmasterは、同じ空気を感じるのであった…。
こんな信念が歩いているようなオーナーである。Webmasterにとって、興味が尽きることはない。次回、チャンスを狙ってインタビューしたいと願っている。そこにはきっとドラマが広がっているに違いない。実に楽しみである。

 
(朝の風景… 素晴らしい朝食で活力満々! ブラウザの戻るで戻ってください。)

さて、本命の子豚達の活躍も報告しなければならない。前半のレースでは総合優勝、小学生優勝を勝ち取り、両手で持ちきれないほどの商品をゲットしていた。優勝者はレーザーラジアルのセールとマストを貰い、時が来たら挑戦しないわけにはいかないようであった。
後半のレースでも、ワールド女子チャンピオンを獲得した我等がヒロインが優勝を勝ち取り、面目躍如となっていた。こちらもゆるぎない信念と執念の結果といえよう。総合でも4位で、ワールドにおける日本人選手としては史上最高順位である。そんな凄い結果を出しているものの、しっかりと後輩の面倒も見ているのである。Webmasterは小4のころから眺めてきたが、成長の跡が感じられ、実に嬉しい限りである。人間育成はOPの目的でもあり、そんなことを実感できた一幕であった。

合宿中、我がクラブ出身のコーチ達は寝食を通じて教育してくれていた。むろん、ヨットを教えるのが本来の目的だが、結果的にはヨットを通じて人間教育を行っているといえよう。ともすれば、現代の親子関係は「個対個」の関係になりがちである。が、我がクラブは大きなコミュニティーとして、たくさんの親とコーチが協力してヨットを通じ、集団の中で子豚達を教育している。そんな寺子屋的な教育が具現化されているといえよう。そんな教育も、「デサフィナード」のオーナーを始めたくさんの方々の善意で支えられているのである。そんなことを考えると、再びWebmasterは感謝の気持ちで一杯となるのは言うまでもない。
「信念」は、子供たちの教育を支えてくれる、そんな方々を代表するキーワードと言えるに違いない…。

 
(みんなおめでとう… 良い顔をしています!  ブラウザの戻るで戻ってください。)

そんな夏真っ盛りの合宿であったが、作家?としてのインタビューも忘れることは無かった。以前、「初遠征、親豚奮闘記」に出場いただいたご夫婦にお話を聞くことができたのである。こちらも聞けば聞くほど興味の湧くお話でったことは言うまでもない。キーワードは「一点集中」だろうか…。是非次回ご紹介したいと思う。

2度の週末和歌山行きで疲れたWebmasterである。いくら親豚2匹でタッグを組んで立ち向かう!としても、疲れない訳がない。盆休み前であるが、体調に気をつけ、本日は和歌山名物の紀州梅割りソーダとしよう。
休肝日!(ほんとか?)と思ったが、誘惑に負けてしまうのであった…?

真っ黒な海豚達に乾杯!

 

オフタイム 昔話に行く                    オフタイム トップに戻る


 
             昔話はこちらにあります。是非読んでください。 →  オフタイム 昔話に行く
Copyright(C)2003 All Rights Reserved.
このホームページに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。すべての著作権は潟^イヘイテクノサービスに帰属します。   プライバシーポリシーについて