| 昔、アメリカで「ルーツ」というテレビ映画があった。作者であるアレックス・ヘイリーが、自らの源流に思いを馳せ、生まれ故郷のアフリカの大地へ祖先を探しに行く物語である。そのルーツはマンディカの戦士「クンタ・キンテ」と呼ばれ、奴隷としてアメリカに連れてこられたのがはじまりであった。彼は、どんな状況に陥っても誇り高き戦士の気持ちを失わず、その崇高な信念は後の子孫にも代々受け継がれていったのであった…。

(表彰台、選手の表情が印象的です…。 ブラウザの戻るで戻ってください。)
そんなことが脳裏をよぎったその時、我がクラブにも脈々と受け継がれているルーツがあるのを思い出した。かの「大和撫子」一家である。オフタイムでも幾度となく取り上げてきたが、彼女は「和」の柔和な雰囲気のなかに、「凛」とした厳しい表情を醸し出してくれる選手なのであった。言葉少なに想いを語る…、そんな横顔は、おじさんキラーと言っても過言ではない。といいながら、凛としているばかりでもない。かなりひょうきんな一面も持っているようである。父の秘蔵写真を拝見させていただいたので間違いないと思われる。
父も母も生まれは大阪とのこと。土地柄からか、食べ物もファッションもパンチが効いている。落語に至ってはテンポと突っ込みが身上と思われる。Webmasterは落語を聴くが、関西と言えば、まず桂枝雀だろう。その機関銃のような喋りと、座布団から落っこちてしまいそうな身振り手振りは関西を代表していると言える。それに対して古今亭志ん生は、深みと艶のある演技を身上とし、関東のイメージリーダーと言えるだろう。同じ落語でもそれほど印象が違う。Webmasterはどちらも大ファンなのでCD、DVDとも何枚もあるが、聞けば聞くほど、その上手さとともに文化の違いに感嘆するのであった。
そんな関西圏に思い入れのあるWebmasterだが、普段お付き合いしている限りはまったく分からなかった。非常に柔和で癒し系と言っても過言ではない母である。言葉も標準語で、出身の話を聞いて初めて関西の出だと分かったほどである。

(笑顔がたまりません…。 ブラウザの戻るで戻ってください。)
さて前置きが長くなったが、今回はその「ルーツ」をたどる旅としよう。母譲りのその表情、「クンタ・キンテ」より刺激的なのであった…。
専属カメラマン?が撮影してくれた子豚達を眺めながら語ることとしよう。
僭越ではありますが、是非彼と彼女と呼ばせてください。
それでは、はじまり…はじまり…。
彼と彼女の出会いはふた昔ほど前に遡る。彼が働いていた会社にアルバイトに来たのが始まりであった。大学に進んだ彼女は、世のご多聞にもれず、アルバイトを始めることとした。理系の学生である彼女は、文系と違い自由な時間が少ない。少しでも見入りのいい仕事を…と考え、多少なりとも技能が役に立つ設備系の会社を選択したのであった。まじめな仕事ぶりが評価され、すぐに皆にかわいがられる存在となったのは言うまでもない。周囲の理解の元、授業とアルバイトを両立させ、学生生活を謳歌していたのであった。
普段から芯の強い彼女は、会社の面々から熱い信頼を寄せられ、アルバイトながら無くてはならない存在となった。が、学生生活は残念ながら終りが来るのであった。卒業である。卒業式をまじかに控えた彼女の前途を祝し、職場の全社員で送別会を開いてくれた。アルバイトの身分でありながら、彼女ひとりのために送別会開いてくれるとは、いかに信頼されていたか普段の仕事ぶりが良くわかるというものである。
会が終わってしばらくたったころ、彼女は世話になったメンバーひとりひとりに感謝の気持ちをこめてカードを作った。が、もう春休みで就職準備に入ってしまっており、一人ひとりに手渡す時間が無い。そこで一計を案じ、上司であった彼にカードを託すことにしたのであった。厚き信頼を置いていたのだから当然の選択と言える。
一回り近い年の差は、彼女を眺める眼差しを暖かくさせる。4年もの間、凛とした彼女の横顔を眺めてきた彼である。父親のそれと同じだったかも知れない。触れてはいけない、大切なもの…そんな感じがあったのだろう。
が、それまで良く告白せずにいたものである。大和撫子ならぬ大和魂とでもいうべきだろうか。卒業までは待つ!と心に深く決めたからであった。そんな彼にとって最初で最後のチャンスである。意を決して自身の信念を曲げ、彼宛のカード以外、全てお蔵入りさせることとした。恋は盲目と言うか、確信犯というか、つまるところ彼女にそれほどまでに魅力があったということなのだろう。お陰でその他のカードは引き出しにしまわれ未来永劫、門外不出となったのは言うまでもない。結局、あて先に届いたのは、その一通のみであった…。
むろん、彼以外それを知る由はない…。
懐で暖めていた自分宛のカードを読み、彼は深くうなずいた。その日はなんと誕生日。カードにも「お誕生日おめでとう!」と書いてあった。当年とって33歳である。自らの決断に自信を持ち、勇気を奮い立たせたのは言うまでもない。
明くる日曜日、「お礼が言いたいから…」と、彼女を下宿から程近い水辺の公園に呼び出した。彼のことを兄のように慕っていた彼女は断る理由も無い。素直な気持ちで、芦屋に程近い公園へ…と急いだのであった。
手を振りながら小走りに走ってくる彼女を見て、彼は鼓動の高鳴りを抑えることができない。断られたら…と思うと心中穏やかではない。しかもしっかりと決意の程を表さなくてはならないのである。頭の中はパニックを起こし、逡巡するのは当然であった。
そのお陰か、開口一番、前置きも忘れ、「あの、結婚を前提にお付き合いを…」と切り出してしまった。普通であれば、相手の気持ちを推し量りながら順に言うべきだろう。が、そんな余裕は何処へやら。気が付いたら口から出てしまったのであった。彼女の方ものっけからそんな話を聞くとは露ほども想像しなかったに違いない…。

(急流下りの真っ最中…。 ブラウザの戻るで戻ってください。)
一瞬の沈黙が流れた。彼女は、凛とした表情で真正面から見返すものの、困惑の表情の中で彼女は答えた。「そんな…、」と…。
むろん突然の話である。断っても不思議は無い。それを聞いて彼は全てを理解した。彼もやはりサムライである。覚悟はしていたし、これ以上話しても彼女を困らせるだけ!と腹をくくり、別れの挨拶をした。が、それは表向きであって、実際心中張り裂けんばかりであったのは言うまでもない。
もともと潔い彼である。しょうがないとあきらめ、双方とも、踵を返してその場を後にした。が、何歩あるいただろうか…。距離にして50mはあっただろう。気がつくとなにかに惹かれる様に、ふたり同時に振り返り、目が合ってしまったのであった。まるで東京ラブストーリーのように…。
もう、後は皆さんの想像にお任せするとしよう。多くを語る必要は無いだろう。そんな展開で結ばれた2人である。どんな困難が待ち受けても、もう離れることは無いのであった。
そんな2人が将来の夢に向かっていたその時、あの阪神淡路大震災が起こった。彼女のマンションは倒壊こそ免れた物の、ライフラインは全て寸断され、安否の確認すらできない状態であった。男っ気の強い彼である。地震直後の状態をテレビで見た瞬間、ミネラルウォーターと食料を担いで彼女の元へ急いだのは言うまでもない。心配する両親の思いを背に、余震の危険を顧みることなくひたすら歩いたのだった。徒歩であったため、数時間かかってようやく到着した。元気な彼女の姿を確認すると共に、どうにか彼女の両親に無事を報告することが出来たのであった。
ところが、じつは彼女の両親は結婚に反対であった。というのも、11歳という年齢差があったからである。今では当たり前になりつつあるが、当時の親御さんの判断としては当然であったろう。が、そんな彼の決死の献身的活動を目前にし、間断なく娘の安否を報告してくれる、そんな彼を認めるまで、さほど時間は掛からなかったのであった。
そして晴れて皆の認めるところとなり、1年後めでたく結婚へゴールインすることと相なった。社会人になって始めたヨットライフは、結婚後も続けることとなり、彼女のライフワークとなった。そしてヨットは子育ての一環としても続けられ、彼の協力の下、「大和撫子」嬢の我がクラブへの入部とつながったのであった…。
めでたし、めでたし…。

(皆いい顔をしています…。 ブラウザの戻るで戻ってください。)
しかし…、ドラマである。Webmasterはコラムを書く都合上、いろいろな方に取材してきたが、全ての方々が一言では語れないドラマがあった。御夫婦の出会いから始まり、急流を流れ落ちるような始めた頃の感動、そして自身の力を信じ克己の心で挑戦し子豚達が成長するところまで、凛然と語りつくせないドラマが存在する。それは各御家庭の宝物と言えるだろう。
特に感じるのは、祖父母、親、子、と脈々と受け継がれている、なにか熱いものである。いうなれば熱い「血」と言うべきだろうか。家庭だけでなく、学校、クラブ、会社など、人の集団においては感じられるべきである。いうなれば、伝統と文化ということになるのだろうか。無論、その中で革新することも忘れてはならない。柔軟な思想も肝要である。
しばらく前、名古屋の親分から素晴らしい話を聞いた。以前の記事と重複するが、本記事にも記載しておきたい。
「OPはヨットの入り口や。そんなに力いれとっても、あかん時もあるんやで。無理したらあかん。待つことも肝要。社会人になってもヨット楽しんで乗るようにしてやらにゃあかん。じゃが、反面、必死に戦うことも重要や。真剣になっとるヤツは真剣に考えさせ、苦しませなきゃいけん。そんな希有な体験は、大人になった時、ものすごい貴重な経験となって返ってくるんやぞ!。あんたらも、そんな子供たちと付き合って、例えようの無い時間を過ごしとるんやで! そんなん考えると、やっぱりOPは最高だわな! だから飲まなきゃ帰さへんで! ガハハ!」と来た。Webmasterは前回に引き続き、両手でポンとなったのである…。
強烈な一言であった。御自身も仙人然としているが、久しぶりに心に響くことを言われた気がした。そう、だからWebmasterも含め、OPの親達はこのスポーツを選択したのかもしれない。本能からだろうか…。
さて、本日は信州諏訪の「真澄」宮坂醸造が手に入った。「醸造協会酵母7号」と命名された家付き酵母である。そんな有名な酵母で醸し出された名酒である。飲みすぎに注意し、いただくこととしよう。
世界中のOP子豚とその親豚達に乾杯!
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